『虞禮寧子』虚襤褸子篇(蛇女男章)

 昔々或る地域に、生き延びるためにはより多くの武器を持って敵に備えるべきか、それともそうしない方が得策であるかをめぐって、延々と白熱した議論をしていた民族がいました。
「妥協を重ねると土地を徐々に奪われて飢え死にしてしまう。」
「しかし敵を刺激すると無用な戦いが起きて多くの人が死ぬ。」
「しかし徐々に土地を奪われれば飢えて死んでしまう。」
「しかし敵を刺激すると無用な戦いが起きて多くの人が死ぬ。」
 何故敢えて議論を白熱化させていたかというと、興奮すれば自分が何かを成し遂げている気分になれたからです。そうすると、思い切ってどちらかに決断しない事に対する後ろめたさも忘れる事が出来ました。
 ある日、子莫がこの地を訪れました。子莫は中庸を愛していました。だから原住民が実際には敵に対して適当に上手にやっているのを見て、大いに感心しました。子莫は原住民に対して提案しました。
「いっそ無駄な堂々巡りの議論を止めて、現状維持という事で妥協をしてみてはどうかね?そうしても対外政策は実際には何ら変化しないし、今まで議論に費やしていた時間をこれからは労働や軍備や休憩に費やせるぞ。」
 原住民はこの空気の読めない遊説家の身体を二つに切り裂いて、彼らが崇拝する虚襤褸子に捧げました。虚襤褸子とは、堂々巡りを象徴する神様です。
 翌日、戸森メメンと名乗る人物がこの地に来ました。メメンは漢字で書くと「女男」なのだそうです。原住民はこれをキラキラネームだと見做して蔑みました。
 メメンは実際に、男の様でもあり女の様でもありましたが、それでいて中性的ではありませんでした。また老人の様でもあれば子供の様でもありましたが、青年らしさだけは欠片もありませんでした。
 メメンは広場で演説を始めました。
「諸君、私は議論を愛する諸君をほぼ完全に肯定する。諸君の唯一の間違いは、議題の表現の拙劣さにある。正しくは、「戦って死ぬか?それとも戦わずして死ぬか?」である。どちらを選んでも、自分が敵に殺されるかそれとも他の死因で死ぬかを主体的に決められるものでもないが、それぞれの末路の確率が微妙に変化するだろうから、君達の議論の内容は決して無意味ではない。だが自分の本当に好きな手段を用いて大急ぎで自殺する事の効率の良さには及ばないね。」
 原住民は自分の死を本当の意味で直視したくはなかったので、これを聞いて厭な気分になりました。だからメメンを殺したいなと思ったのですが、同時にまた余りに意気消沈してしまったため、実際に自分の労力を費やしてまで殺す気にはなれませんでした。そこでメメンに交渉を持ち掛けました。
「比較的醒めた者たちは、我々が興奮に酔おうと努力するのは、興奮すれば自分が何かを成し遂げている気分になれるし、決断しない事に対する後ろめたさも忘れる事が出来るからだと分析していたが、それ自体もまた偽りだったようだ。彼等は我々が目覚めそうになる度に、「目覚めた」という心地良い夢を与えてくれていたのだね。今我々は自分が死すべき存在である事を思い出し、大変怖いのである。新たな夢を与えてはくれないか?」
 寛大なメメンは原住民の半分に阿片の快楽を与え、もう半分には阿片の快楽に溺れる者を蔑むという快楽を与えました。昔程ではないにしろ、これで原住民は少しは落ち着きました。
 メメンが去った後の中央広場には、ばらばらになった蛇の死体と、それに寄り添って慟哭している老婆の姿がありました。