『サクラ大戦 巴里花組ショウ2014 〜ケセラセラ・パリ〜』

サクラ大戦 巴里花組ショウ2014 ~ケセラセラ・パリ~ [DVD]

サクラ大戦 巴里花組ショウ2014 ~ケセラセラ・パリ~ [DVD]

 先週の木曜日、『サクラ大戦 巴里花組ショウ2014 〜ケセラセラ・パリ〜』の初日に行ってきました。(なお前作の内容はこちら→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20140216/1392510933) 

 シゾーを模した花輪が置かれていました。もう作品の顔ですね。

 買った御土産もシゾーブランドの商品。商人として大成したというシゾーの設定を現実の記念品と結びつけている訳です。もう巴里華撃団はどんどんシゾーに浸食されています。
 今回の敵は生と死の狭間の世界の住人である「ダス・モルテス」。彼の目的はロベリア=カルリーニの命という極めて限定的なものであり、それもあくまで善意に基づいた行動でした。彼によれば、この世界に生きる事は「贖罪」であり、ロベリアは刑期が終わったからこそ死ぬべきだというのです。
 ロベリアは『サクラ大戦3』の本編でも「塀の内側と外側とで、そもそも何が違うのか?そしてどちらが自由なのか?」という問いを投げかける役目を担わされていましたが、今回も「生と死、どちらが罰なのか?」という問題設定に利用された事になります。
 また前作の感想で私はロベリアについて「そろそろ刑期が終了してもおかしくはないと思うのだが、如何なものであろうか?」と書きましたが、今回の話は、ロベリアから「刑罰」というアイデンティティが消えた時に一体何が起きてしまうのかについて考えるための、予行的な実験であったとも言えると思います。
 作られた架空のキャラクターの宿命として重要な設定が消滅した時点で消えてしまうのか、それとも新境地を見出すのか。これは本人だけを考察していても結論が出るものではないので、他のキャラクター達と絡ませながら試していくしかありません。
 今作の主題が、第一に生と死であり、第二にそれと密接に関わるアイデンティティの話である事を強調するためか、シゾーとその分身のフィルブラン及びレーヌとの間でも、これらの問題が議論になっていました。
 シゾーは、古代の巴里の住民の恨みを晴らすためのサリュの計画において、生贄として創造された怪人です。初めから敗けて死ぬ事が予定されていたのに、その本来の目的に貢献せず、一人だけ生き延びてしまった訳です。しかしながら今では改心して、商人として成功しています。その事について本人に悩みはないようで、フィルブラン・レーヌが煽っても巴里華撃団と積極的に戦おうとはしません。
 フィルブラン・レーヌは発生の理由がシゾーの負の感情であったため、その瞬間の目的の達成にばかり拘っていました。そして最後にシゾーの翻意が不可能と悟ると、今度は自分達は消滅すべきではないのかと悩んでいました。そういう彼等に対し、シゾーは生きている事に深い理由なんか要らないという意味の主張を投げかけていました。
 この種の問題は、架空の作品のキャラクターのみならず、現実世界に生きる我々一人一人もまた考え続けなければならない問題であると思いました。
 なお、今作の最大の特徴は、大神一郎が物語にほとんど関わらなかったという事にあると思います。冒頭では巴里に向けて出国していたのですが、海難事故でついに巴里に到達出来ずに終わってしまいました。無理矢理出しただけという雰囲気が強く、完全に出さない場合以上に不存在が強調されていたと言えます。
 思い起こせば大神は『サクラ大戦3』の後日談である『サクラ大戦 ル・ヌーヴォー・巴里』にも登場していませんでした。成長後の巴里華撃団花組の物語に大神を混ぜるのは、非常に難しいのかもしれません。あるいは、敢えて彼を混ぜない事で帝国華撃団花組とは異なる形で成長した事を強調しようという意図が込められているのかもしれません。
 今回残念だったのは、エリカ=フォンティーヌの天然呆けが少なかった事です。シゾーがお笑い担当のライバルとして台頭してきているのですから、余程凄い言動をさせないと食われてしまうと思います。

 最後の写真は、休憩時間中に大急ぎで飲んだ会場限定のカクテル。急いでいたのでほとんど味を覚えていません。
サクラ大戦 巴里花組ライブ2012 ~レビュウ・モン・パリ~ [DVD]

サクラ大戦 巴里花組ライブ2012 ~レビュウ・モン・パリ~ [DVD]

SEGA THE BEST サクラ大戦3 ~巴里は燃えているか~

SEGA THE BEST サクラ大戦3 ~巴里は燃えているか~