本能寺の変と『ファイナル・ジャッジメント』の奇妙な符合――時は今

 明智光秀は、本能寺の変を起こして主君の織田信長を討つ少し前に、その決意を連歌会で表明していたと言われている。
 発句の「ときはいま、あまがしたしる、さつきかな」は、普通に解釈すると「今は梅雨時の(旧暦)五月だなあ」という意味になるが、「土岐の傍流である明智光秀が今まさに天下を統治し始める五月だなあ」というダブルミーニングが込められていたと一般に言われている。
 ダブルミーニングと言えば、表向きは反中国映画である『ファイナル・ジャッジメント』も、深読みをすると幸福の科学の現状を批判するメッセージが見出せなくもないという記事(http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20120606/1338985921)を、私は最近執筆したばかりである。
 そして私は先程、同作と本能寺の変の奇妙な符合に気付いてしまった。
1.本能寺の変は旧暦の6月2日に発生。『ファイナル・ジャッジメント』の公開日は新暦6月2日
2.明智光秀が率いていた大軍は、本来は中国地方の毛利氏を倒すために信長から与えられたもの。『ファイナル・ジャッジメント』の製作予算は、中国の脅威に備えるために与えられたもの。
3.軍を反転して首都に乗り込んで成功した明智光秀。世界への演説発信なら何処からでも出来るのに、敢えて危険を冒してまで不自然に渋谷の真ん中に乗り込んで演説した鷲尾正悟。
4.明智光秀足利義昭上杉景勝長宗我部元親との連携を狙った。藤田達生著『謎解き本能寺の変』(講談社・2003)の81〜86ページによると、その際には連絡役として宗教勢力である本願寺教如が活躍した。そして鷲尾正悟の名と演説を世界中で有名にしたのは、宗教勢力であるROLE。
5.「時は今、あまがしたしる、さつきかな」。「ファイナルジャッジメント時は今です!」。
6.安土宗論で日蓮宗を貶めた三年後に起きたのが本能寺の変。『仏陀再誕』で創価学会を貶めた三年後に発表されたのが『ファイナル・ジャッジメント』。
 さて、では織田信長として想定されているのは誰だろうか?勿論劇中ではラオ・ポルトであるが、大川隆法氏の影も浮かび上がる。
 まずルイス=フロイスの『日本史』は、織田信長が滅んだ理由は驕慢になって創造主の地位まで奪おうとしたからだと主張しているらしい。
 また明智光秀以前に織田信長に反旗を翻した重臣は「荒木村重」。『ファイナル・ジャッジメント』以前に大川隆法氏に反旗を翻した幸福の科学の有力者である大川きょう子氏の旧姓は「木村」。
 山科言継の日記によれば本能寺の変で最大の活躍をした明智光秀の部下は斎藤利三。一方、幸福の科学に反旗を翻した「心研」のNo.2は斎藤敏之氏。
 織田信長の側近には森丸。大川隆法氏の側近には転法輪氏。
 突如織田家を追放された「佐久間信盛。彼の先祖は氏。そして幸福の科学では佐久平支部が突然消滅したと言われている。
 比叡山延暦寺に焼き討ちを仕掛けて地獄絵図を作った織田信長比叡山延暦寺の開祖である最澄は地獄に堕ちたと言い張ったのが大川隆法
 そして織田信長の宗派は名目上は日蓮宗だったと言われる。本能寺も日蓮系の寺である。そして日本版wikipediaの「大川隆法」の項(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B7%9D%E9%9A%86%E6%B3%95・最終閲覧日時は西暦2012年6月12日0時14分)によると、大川隆法氏の最初の著作は1985年の『日蓮聖人の霊言』との事である。この「1985」という数字は、前回紹介した通り、映画の中で強調されていた。
 自らの神格化を進める教祖に反発した、旧来の体制を好む非主流派の古参信者からのメッセージが、『ファイナル・ジャッジメント』には込められているのかもしれない。まあ、おそらくは単なる偶然なのだろうが・・・。
「第6章 ニセ救世主「信長」にだまされるな!」(文庫版『陋巷に在り11 顔の巻』あとがき(というか付録)より)

謎とき本能寺の変 (講談社現代新書)

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