文庫版『陋巷に在り』の感想を纏めておく。

 忙しくて新しい記事が書けないので、昔各巻毎に書いた文庫版『陋巷に在り』の感想を纏める作業でもしてみたい。
1 儒の巻

陋巷に在り〈1〉儒の巻 (新潮文庫)

陋巷に在り〈1〉儒の巻 (新潮文庫)

 「あとがき」で著者自身が吐露している様に、この作品はカバーの装画を担当している諸星大二郎の著作『孔子暗黒伝』の影響が強い。
 それは間接的に白川静の『孔子伝』影響を被るという事でもある。各巻の冒頭には、副題となった文字の『字統』での解説が引用されている。
 ただ白川・諸星が孔子の宿敵として描いた陽虎の「もう一人の孔子」というイメージは、少正卯へ強く与えられている。
 本書の装画の顔回の顔は、『孔子暗黒伝』での顔回よりも公西赤に近い。これは本作品の顔回の立場に合わせたものと思われる。
 著者が「礼」を描く時、魔術的効果に慄く古代人の視線と、それを心理学・交渉術・催眠術・弁論術・発声法の総合と把握する現代人の視線が、雑駁に混交している。これが私には魅力として感じられた。
 後に冗長になる本シリーズだが、この時点ではまだ内容が濃い。第一巻に釣られて結局は全巻揃えてしまったという人も多いだろう。
 304〜306ページの『左氏伝』の記事の解釈には唸らされた。
 登場する主な弟子(『史記』仲尼弟子列伝記載人物に限る)は、顔無繇・顔回・仲由・漆彫開・曾点・原憲・冉求・端木賜・秦商・公冶長・南宮括・顔噲(登場順)。
2 呪の巻
陋巷に在り〈2〉呪の巻 (新潮文庫)

陋巷に在り〈2〉呪の巻 (新潮文庫)

 陽虎の内乱・饕餮の脅威・少正卯の暗躍等、シリーズ後半からは想像出来ない程に見所の密度が濃い。
 形骸化して堕落した伝統呪術への対策としては、とことん形骸化を押し進めて完全に無害なものにしてしまう方針と、その根本精神を再興させる方針との、一見正反対な二つの案が考えられる。本作の顔回は二案の両方に惹かれつつ、しかも究極的にはその矛盾を解決して真の止揚に至る事を望む。この中庸こそ、『論語』に見られる孔子の目標であり、『孔子暗黒伝』のハリ・ハラが漠然と望んで終に得られなかった境地でもあるのだろう。
 余談だが、「あとがき」の346ページの見解には唸らされた。
 初登場の主な弟子は、冉耕・閔損(名のみ)・冉雍(名のみ)・宓不斉。
3 媚の巻
陋巷に在り (3) (新潮文庫)

陋巷に在り (3) (新潮文庫)

 この巻から急に話の流れが無駄に遅くなる。
 顔回が悪悦・悪子蓉に決定打を与えられる好機を逸するのは、初めて読んだ時ですら歯痒かった。何しろこの巻だけでも、そのせいで五人が惨殺されるのである。
 そして今後の悪悦・悪子蓉の所業を知ってから再読すると、ますます顔回の行き過ぎた「仁」が腹立たしく思える。
 初登場の主な弟子は、公西赤・公伯寮・閔損(名のみ既出)。
4 徒の巻
陋巷に在り〈4〉徒の巻 (新潮文庫)

陋巷に在り〈4〉徒の巻 (新潮文庫)

 シリーズを貫く「墮三都」問題がいよいよ本格的に始まる。この問題でここまで発想を拡げられた作家は過去存在しなかったであろう。
 言語として発せられる音声のみならず僅かな動作や呼吸その他のあらゆる媒体を総合的に用いて会話するという勝負が今回は多い。日本人だからこそ書けた、と言って言い過ぎなら、日本人だからこそ書き易かった作品であると思われる。
 そして、そうした優柔な争いを散々見せ付けられた挙句に始まる、242ページから30ページを費やして行われる肉体的な戦いこそ、この巻の最大の見所である。
 初登場の主な弟子は、有若(名のみ)。
5 妨の巻
陋巷に在り〈5〉妨の巻 (新潮文庫)

陋巷に在り〈5〉妨の巻 (新潮文庫)

 話はほとんど進まないし、会話も前巻の様な緊迫したものは無い。
 巻末から「あとがき」が消え、代わりに一部に図像が付された登場人物紹介が入れられた。
 また文庫には珍しい事だが、折り畳み式の春秋時代の地図が付された。
 初登場の主な弟子は、卜商・冉雍(名のみ既出)。
6 劇の巻
陋巷に在り (6) (新潮文庫)

陋巷に在り (6) (新潮文庫)

 前半は騒擾事件、後半は戦争である。
 普段は礼を説いている孔子が戦場で本気を出して偉大な武人でもあるという事を周囲に再認識させる話なのだが、普段冗長な話が延々と続くこのシリーズが異様に盛り上がる話でもある。やはり作者は戦場を描くのが異様に上手である。
 前回突如巻末に出現した「登場人物紹介」は消滅。「あとがき」は復活せず。折り畳み式の地図は健在。
 初登場の主な弟子は、有若(名のみ既出)・宰予・高柴。
7 医の巻
陋巷に在り〈7〉医の巻 (新潮文庫)

陋巷に在り〈7〉医の巻 (新潮文庫)

 話はさっぱり進まないが、医鶃という新キャラクターの強烈な印象が辛うじて退屈さを打ち消している。
 彼の言動と著者の医療に関する評論により、医の倫理について厭でも再考を促される。
 最近の日本で医者が患者にパターナリスティックな態度を採れなくなってきているのは、情報技術の発達と日本人の平均的な知的水準の向上に因るものであり、概して言えば喜ばしい傾向なのであるが、一方でそれが加江田塾事件等を生み出す温床ともなっているとも思われる。
8 冥の巻
陋巷に在り〈8〉冥の巻 (新潮文庫)

陋巷に在り〈8〉冥の巻 (新潮文庫)

 今回もほとんど話は進まない。
 そろそろ登場人物までもが顔回の優柔不断に辟易した発言を始める。そもそも133ページの五六や368ページの女魃が指摘する様に、顔回が能動的でありさえすれば悪子蓉は大した悪事もしない内に打ち負かされていたであろう。悪子蓉からすら嫌気が感じられる。
 しばしば聞かれる祝融の苛立ちは、読者の苛立ちの代弁でもあっただろう。
 女魃演じる偽孔子は、発表時期から見て浅野裕一の影響が推測される。
9 眩の巻
陋巷に在り〈9〉眩の巻 (新潮文庫)

陋巷に在り〈9〉眩の巻 (新潮文庫)

 公斂處父が主役と言っても良い。
 今までの孔子の敵は、卑劣な小人や狂気に取り付かれた人物ばかりであったが、今回は非の打ち所の無い実直な人物が敵である。
 彼の視点を借りる時、孔子孔子にとっての少正卯に限りなく近い妖怪に見えてしまう。
10 命の巻
陋巷に在り〈10〉命の巻 (新潮文庫)

陋巷に在り〈10〉命の巻 (新潮文庫)

 所々面白かったりするが、かなり退屈。
11 顔の巻
陋巷に在り〈11〉顔の巻 (新潮文庫)

陋巷に在り〈11〉顔の巻 (新潮文庫)

 やはり作者は戦場を描くのが上手い。
 顔氏も総決算であるが、これまで延々と張られてきた大量の伏線も総決算である。
 堕落した顔氏に再生のための一大壊滅イベントを長年かけて用意したのは、尼山の神であり、それはまた作者自身でもある。
 付録の「信長の大予言」と「ブタゴン・ドゥエストⅤ公式Q&A」も秀逸。
12 聖の巻
陋巷に在り〈12〉聖の巻 (新潮文庫)

陋巷に在り〈12〉聖の巻 (新潮文庫)

 悪子蓉が遂に死ぬ。男性的な倫理に縛られない少女は、傍迷惑な災害でもあり、神の子でもあるのだろう。
 そして論理的に把握し易い悪悦の究極悪の描写もまた魅力である。
 成城の攻防戦は、火計だけは見るべきものがあったが、作者にしてはあまり面白みが無かった。
13 魯の巻
陋巷に在り〈13〉魯の巻 (新潮文庫)

陋巷に在り〈13〉魯の巻 (新潮文庫)

 原始的な段階を離脱しつつあった時期の「礼」の物語は、鬼神を尊ぶ国で生まれ育った著者だからこそ書けたのだと思う。
 顔回が最高の弟子であったとするならこの小説に描かれた様な存在であったと考えるのが、やはり妥当であろうとも思った。
 初登場の主な弟子は、顓孫師(名のみ)。
孔子暗黒伝 (集英社文庫(コミック版))

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孔子伝 (中公文庫BIBLIO)

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新訂 字統

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史記 全8巻セット (ちくま学芸文庫)

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孔子神話―宗教としての儒教の形成

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