『サクラ大戦〜轟華絢爛〜』・『サクラ大戦〜太正恋歌〜1』・『サクラ大戦〜太正恋歌〜2』・『サクラ大戦 活動写真』も読んだ。

 今までは、あかほりさとる氏の手によるサクラ大戦の小説を紹介してきたが、本日は同時並行的に読み進めてきた川崎ヒロユキ氏の手によるサクラ大戦の小説を紹介する。
サクラ大戦〜轟華絢爛〜』

サクラ大戦 轟華絢爛 (富士見ファンタジア文庫)

サクラ大戦 轟華絢爛 (富士見ファンタジア文庫)

 基本的にOVA版『サクラ大戦〜轟華絢爛〜』(http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20130412/1365760490)と同じ話だが、一冊に全ての話を盛り込むため、内容は随分省略されている。
 地上げ屋が乗っていた「キ六」に関する情報は、DVD-BOX同封の設定資料にも載っていなかったが、本書により正式名称が「タジカラ」である事が判明した。
サクラ大戦〜太正恋歌〜1』
 第一・二章はOVA版『サクラ大戦〜桜華絢爛〜』の第四幕と同じ話だが、他はオリジナルストーリーである。
 68ページでは、作中世界で「お台場」を作ったのが徳川幕府ではなく、欧州大戦の頃の陸海軍であるという設定が語られていた。
 これは少々残念な独自設定であった。政府施設だからという理由で名称に「御」を付すという慣習は、封建制時代の感覚であろう。まして『サクラ大戦』の世界は概して史実よりも平等主義が強いのであるから、二重に駄目な設定である。
サクラ大戦〜太正恋歌〜2』
 全作オリジナルストーリーである。
 第五章の「大正恋歌」が秀逸であった。
 作中世界の文明を一気に促進させた蒸気革命であるが、10万人に1人の割合で蒸気と体質が合わずに若死にしていく者がいる、という設定が語られていた。
 そしてその蒸気の犠牲者が夢想した「架空」の世界として、蒸気革命が起きなかった世界が作中作品の中で描かれる。その作中作品世界では、年号は「太正」のパロディとして「大正」が使われており、これこそ我々の住む現実世界である事が示唆される。
 私はライプニッツの哲学に初めて触れた時、「この世界が善意の何者かの最良の夢想であるとするなら、こんな世界の方がマシだと考えた『神』は、一体どんな苦しい世界に住んでいるのだろう?」と思いを馳せたものである。その事をふと思い出した。
 サクラ大戦の世界は、一見すると文明や平等主義の発達が現実世界の歴史よりも遥かに迅速で、鑑賞しているとついつい向こう側の世界を理想化してしまう。だがあの世界は常に降魔や野心家の脅威を受け続けている不幸な世界でもある。この事を忘れるべきではないだろう。
 因みに、我々の住むこの世界が不幸な異世界に住む不幸な誰かの良心的な妄想かもしれないという発想は、劇場版『二十世紀少年』の最終章の最後でも使われていた。
 そして我々の住む世界も、自動車という便利な道具が毎年日本人を数千人殺している。最近では原発事故も経験した。文明の利器で却って損をしてしまった人が思い描く理想世界は、一体どんな世界だろうか?そんな事も考えさせられた。
サクラ大戦 活動写真』
サクラ大戦 活動写真 (富士見ファンタジア文庫)

サクラ大戦 活動写真 (富士見ファンタジア文庫)

 映画版『サクラ大戦 活動写真』(http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20130114/1358094473)とほぼ同内容。
 7ページ、「現在、我々が知る限りにおける最古の降魔の出現は一五三〇年。」と書かれている。だが『サクラ大戦 巻の三』27ページでは、降魔の存在は少なくとも千五百年前には確認されているという設定が藤枝あやめから語られていた。どちらが公式設定なのかは謎である。
 34ページ、映画や『サクラ大戦V EPISODE0』の公式サイトの「舞台」(http://game.sakura-taisen.com/v-0/butai.html)の「サクラ世界 用語解説」ではダグラス=スチュワートの「社長」扱いだったブレント=ファーロングが、日本支社長に就任したばかりの重役とされていた。
 145ページ、薔薇組について「これまでに起きた帝都における二度の大きな戦いで彼らは値千金の働きをしていた」とされている。黒之巣会との戦いでも密かに活躍していたのか、偽京極慶吾のクーデターと本物の京極慶吾の反乱を二度と数えたのか、それともゲーム化されていない戦いで活躍したのかは、謎である。
20世紀少年 <最終章> ぼくらの旗 通常版 [DVD]

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