オウムを知らない子供達は、平成の徳川家光だ。

 以前、「「オウムを知らない子供達」に対しては、情報だけを伝える控え目な語り部になりたい。」という記事(http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20141108/1415438474)で、オウムを知らない子供達の大量発生を前にして、自衛隊を過度に警戒する老人達の気持ちが少しだけ理解出来るようになった、という心境の変化を表明した。今回の記事はその姉妹編である。
 
 私は最近、自分が江川紹子氏を筆頭とするオウム真理教と戦った有名人達に批判を浴びせる事に躊躇を感じる人間であると気付いた。
 世の中に無謬の人間は存在しないと一般に言われているし、仮に存在するとしてもそれが証明されるのは本人が死んだ後である。だから過去に如何なる功績があった人物でも、社会がその人を極端な崇拝の対象にしてしまうのは危険である。そうである以上、本来は江川氏の様な多大な功績があった人物については、陣笠議員なぞよりも遥かに厳しくその言動を見張るのが、陶片追放制度以来の良き市民の義務である。
 だが、巨大カルト集団に対して命の危険を顧みずに身一つで警察に先んじて挑んでくれた江川氏がいなかったならば、私は今日まで生き延びられなかったかもしれないし、場合によっては日本どころか世界が滅んでいたかもしれない。この事実を思い出す度に、私の江川氏への批判的視線が鈍ってしまうのである。
 そして私はこの性格を「改善」しようという気にもならない。「恩知らずな老人」なんて他に幾らでも居るのだから、江川氏への批判は彼等に任せても社会は普通に回っていくだろう。そして恩を知るタイプの人間こそが役立てる部門が世の中には他に幾らでも有る筈だ。上手く分業して行けば良い。
 ここまで考えて、「オウムを知らない子供達」ならば、私と「恩知らずな老人」双方の美点を兼ね備えられる事に気付いた。江川氏の功績を体感していない世代は、遠慮無く江川氏の言動を他の文化人達の言動と同等のものとして批判出来る。しかもそれでいて、彼等の一部は「恩知らず」という悪徳からも自由なのである。
 これは、徳川家康・秀忠とは違って諸大名からの恩義を直接的には受けていない徳川家光が、「生まれながらの将軍」として大胆に諸大名を統制出来た、という故事と構造が似ている。
 私は世代交代の長所をまた一つ新たに見出した。 
 
 そしてこの思考の副産物として、以前の記事(http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20090614/1244906691)で厳しく批判した丸山眞男の『戦争責任論の盲点』の価値が、私の中で少しだけ高まった。
 この論文の日本共産党批判は、ある世代には非常に高く評価されている。しかし私は、自分が決して共産党の積極的支持者ではないにも関わらず、これが非常に稚拙かつ粗雑な論理による誹謗にしか見えなかった。
 だが自分の中の、江川氏への批判を躊躇する心象と向き合った結果、この論文を歓迎した老人達の気持ちが少しだけ理解出来た。
 かつて自分に先んじて危険な体制を命懸けで批判した連中がいたら、その連中への批判の矛先が鈍るのは当然である。また下手に批判をすると、もっと危険な連中の復活に手を貸す事になりかねない気までしてしまう。
 そんな風潮が支配する中で、保守派とは別の視座から共産党を批判してみせた丸山の行動は、多くの知識人を勇気付けたのであろう。
 一つの文章としての『戦争責任論の盲点』への価値は、やはり私の中では低いままである。しかし社会の風潮を変えたという歴史的な価値は認める事にした。戦国時代の合戦に例えるならば、個人としては敵兵の首こそ取れなかったものの、一番槍の功名によって全軍から臆病風を取り払った兵士の価値である。

丸山眞男集〈第6巻〉一九五三−一九五七

丸山眞男集〈第6巻〉一九五三−一九五七