【ジオング問題】性能の見解が分かれた理由を考えてみた。

 足の無いジオング(以下、「未完成ジオング」と表記)については、これを本来のジオング(以下、「パーフェクトジオング」と表記)と同等の戦力と見做す思想と、80%程度の完成度と見做す思想とが、対立している。どちらの見解も『機動戦士ガンダム』の登場人物の台詞に典拠があるので、そう簡単には結論が出ない。
 最近では『若き彗星の肖像』で「パーフェクトジオングを設計図通りに造ってみたら未完成ジオングよりも強かった」という設定が作られたため、80%論の勢いが強い。
 しかし現場の技術者の声を完全に無視して絶対的な勝敗を決めてしまうのも強引である。
 私は以前、ビグ・ザムの戦力の評価に違いが出た理由を、発言者が想定していた運用法の違いのせいだと考える記事(http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20110203/1296739038)を書いた。今回も、この手法で考察を進めたいと思う。
 まずジオングの設計思想を考えてみる。護身用の格闘能力を持っていない事や、脱出機構がある事や、有線型オールレンジ攻撃が主兵装である事からして、運用方法としては同様の特徴を持つブラウ・ブロに酷似した戦い方が想定されていたと思われる。即ち、物陰に隠れた上で変則的な方向から一方的に相手を破壊し、いざとなったらパイロットだけでも逃げてしまうという、ゲリラ的な戦い方を目指したものと思われる。シャアの台詞にも、この兵器をブラウ・ブロ的なものだと認識していた形跡がある。
 それならば確かに足を用いた細かな動作を迫られる局面は少なそうである。
 「そういう兵器だ」と教え込まれた技術屋が、その観点からのみ未完成ジオングを評価した場合、パーフェクトジオングと同等な存在に見えてしまうのも無理は無いだろう。
 だが、大決戦の中でゲルググ達と一緒に敵にその姿を晒し、敵の弾を避けながら戦う場合は、やはりバーニアのベクトルを瞬時に細かく変更するための足が有った方が便利であろう。
 だからザビ家の兄妹クラスは、ア・バオア・クー戦時点での未完成ジオングの戦力を80%と見積もったのであろう。
 こう考えると、戦力の評価では意見が一致していた筈のギレンとキシリアが、その使用の是非については微妙に立場が違った理由も、良く見えてくる。
 まずギレンはア・バオア・クーを守りきる予定であったので、現状では80%の力しか出せないジオングを温存しておきたかった。そうすれば、後に本来の目的で使用したり、完成させた上で次の決戦に使う事も出来る。
 キシリアは、兄を暗殺する事も視野に入れていた。その場合、ア・バオア・クーの戦いは勝っても負けても最終決戦であり、勝つならば圧倒的に勝ち、負けるにしても可能な限り善戦する事が、その直後の和平条約の内容に響いてくる。使える武器は何でもいいから使い切ってしまいたいと考えたのであろう。

ガンプラ HGUC 1/144 MSN-02 ジオング (機動戦士ガンダム)

ガンプラ HGUC 1/144 MSN-02 ジオング (機動戦士ガンダム)

MG 1/100 MSN-02 パーフェクトジオング (機動戦士ガンダム)

MG 1/100 MSN-02 パーフェクトジオング (機動戦士ガンダム)

1/550 MAN-03 ブラウ・ブロ (機動戦士ガンダム)

1/550 MAN-03 ブラウ・ブロ (機動戦士ガンダム)

MG 1/100 MS-14A ゲルググ Ver.2.0 (機動戦士ガンダム)

MG 1/100 MS-14A ゲルググ Ver.2.0 (機動戦士ガンダム)