昭和天皇の戦争責任の重さの分量についての社会通念を変える方法を考えてみた。

 昭和天皇の戦争責任の重さについては、様々な意見があり、その平均値が所謂「社会通念」を構成している。
 これをより重い方向に変えていこうとしている人もいるし、軽い方向に変えていこうとしている人もいる。
 だがそのための努力の仕方が、妙に偏っているという事に、最近私は気付いた。
 現在世間で昭和天皇の戦争責任を(重い/軽い)と思わせたい人の殆どは、連合国側の戦争責任を(軽い/重い)と宣伝する事にばかり力を使っている様である。
 それはそれで大変優れた手法だと思うのだが、そればかりでは効果に限界があると思う。
 そして「こういう手段を使えば一気に世の風潮を変えられるのに」と思う手法を、二つも思いついてしまったのである。
 本日はその二つの手法を公開する。参考になると思ったなら断りなくどんどん採用してくれていいし、ならないと思ったら無視してくれて一向に構わない。
 
 「手法その1」は、昭和天皇の戦争責任が(重い/軽い)と思わせたいのなら、明治天皇大正天皇の戦勝の功績が(重い/軽い)と思わせれば良いというものである。
 日清戦争日露戦争第一次世界大戦第二次世界大戦も同じ憲法の下で行われた戦争だ。
 「日清戦争日露戦争第一次世界大戦に勝てたのは、最高責任者であった明治天皇大正天皇が優秀だったから」という印象を広めれば、自動的に「第二次世界大戦で負けたのは最高責任者であった昭和天皇が無能だったから」という印象も強まる筈である。
 「明治天皇大正天皇の御稜威による勝利の御陰で今があります」という内容の歌でも作って流行らせれば、昭和天皇の戦争責任は重いと思わせるのに効果的であろう。
 逆に「日清戦争日露戦争第一次世界大戦に勝てたのは国民みんなが頑張ったからであり、天皇は傍観者みたいなものだった」という内容の漫画でも描いて流布すれば、昭和天皇の戦争責任は軽いと思わせるのに効果的であろう。
 ただし世の中には史上に存在した全ての天皇を同時に(崇めたい/貶したい)という人もいる。これはそういう特殊な人には不向きな手法であり、万人向けとは言えない。
 
 「手法その2」は、昭和天皇の戦争責任が(重い/軽い)と思わせたいなら、A級戦犯とされた人たちの戦争責任を(軽い/重い)と思わせればいいというものである。
 「東条英機先生は無謀な独裁者に強いられて仕方なく戦争に参加させられましたが、心の中ではいつも世界平和を望んでいました。しかし謀略による冤罪で戦争責任者として扱われ、あろうことか死刑になってしまったのです。12月23日は先生の命日ですので、有名人の誕生日とかを軽薄に祝ったりせず、先生の死を悼みましょう」と子供たちに教えれば、昭和天皇の戦争責任を重いと思う人材が数多く育つはずである。
 逆に「秦の趙高・本朝の平清盛など奸臣は数多くあれど、東条ほどの悪人はいない」という内容の物語を作って日本中で琵琶の弾き語りでもすれば、自然に昭和天皇の戦争責任は軽いというイメージが根付くはずである。