私が「日本は韓国から民主主義を学べ」論者の大半を信用しない理由は、結論上の同志の多数派とは違っていたようだ。

 最近、「日本は韓国から民主主義に学べ」論と、それへの反発論を見かけるようになった。私は反発論者であるが、どうやら反発論者の中では異端に属すると気付かされた。
 というのも、反発している人の大半は、「韓国の方が日本より民主主義が進んでいる」という部分にだけ反発しており、その論点で勝利する事だけを目的としている様に感じられたからだ。
 私は、権威ある国際機関が作る民主主義ランキングを原則として信じる立場であり(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20150530/1432982637)、そうしたランキングでは日韓は年によって抜きつ抜かれつする間柄であるので、「韓国の方が日本より民主主義が進んでいる」という主張にはさして反発を感じないし、躍起になって論破しようとも思わない。「約50%ぐらいの確率で今年はその通りなのかもしれないな。」と思うだけである。
 私が「日本は韓国から民主主義に学べ」論に反発するのは、その志の低さへの嫌悪である。他国の民主主義に学ぶのであるなら、世界最高峰クラスの北欧諸国から学んだ方がいいだろう。
 これについては、「それは理想だが、北欧諸国の言語は日本人に馴染みが薄いので、その政治体制を参考にするのは困難だ。」という反論が予測されるし、そうした反論には一理あると私も思う。
 だが言語上の問題を云々するのであれば、日本人が一番得意な外国語は英語であるので、英語が公用語であってしかも日本より民主的な国を手本にするべきという事になり、やはり韓国は候補から外れる。
 「地理的に近いから学ぶ費用が安くすむ」というのは、古代や中世であったならば説得力があったかもしれないし、現に仏教をインドからではなく中国や朝鮮から学んだ事績もあるが、現代ではかなり時代遅れであると思われる。
 「人種的に近いから学びやすい」というのは、学びやすくなる因果関係もよく判らないし、人種主義自体がもうかなり時代遅れなので、採用し難い。
 そういうわけで、私が「日本は韓国から民主主義に学べ」論を嫌悪するのは、韓国の民主主義が嫌いだからではなく、論者のほとんどが以下の内のどれかに当て嵌まるからである。
1.実は日本の民主主義が高揚するのを恐れているから不当に低い目標を喧伝している、隠れ反民主主義者。
2.自分が偶然英語より韓国語が得意であるため、韓国に学ぶ風潮が高まれば一儲け出来ると考えている連中。
3.情報の伝達に関して中世レベルの技術を前提とした特異な感覚を持っている者。
4.過激な人種主義者。
5.世界の常識的な評価基準とは別の独自のランキングを信じ、韓国の民主主義が北欧のそれを超えたと考えている連中。