関白藤原忠通、白象に乗りて暹羅國に攻め入る

 『水滸伝』の続編の中では一番面白いと言われる、『水滸後伝』を読んだ。
 日本語訳は東洋文庫を使い、原語が知りたくなった時にはこちらのサイト(https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%BB%B8%E5%BE%8C%E5%82%B3)を使った。
 長年読まなかったのは、李俊が総大将だと聞いていたので、部下も李俊より序列が低い小粒の連中ばかりが集うのだと思い込んでいたのも、理由の一つであった。だが実際には柴進など梁山泊では李俊より偉かった連中も登場し、李俊の部下になる仕組みであった。
 その姿勢は基本的に支持出来たのだが、原作を一番つまらなくした元凶とも言える公孫勝も登場したのはやはりまずかった。こいつが本気を出すと必ず圧勝してしまうのでつまらないし、本気を出さずに苦戦をすると、何故そこで本気を出さないのかと、やはり不快感が募るのである。
 物語終盤で李俊が暹羅国の簒奪者を倒してその地の王になると、敵の残党は倭王に救援を求める。倭王は身長八尺の関白に出陣を命じ、関白は薩摩・大隅の一万の兵を率いて白象に乗って暹羅国に攻め入る。
 物語が作られた時代背景を考えるならば、この関白に投影されているのは文禄・慶長の役を起こした豊臣秀吉なのであろうが、そんな事を考えるのは野暮というものである。この戦いが起きたのは、「改建炎四年為紹興元年」という記述のある38回の前年の秋なので、素直に1129年(建炎3年)か1130年(紹興元年の前年)の秋に関白を務めていた人物を頭に思い浮かべて楽しむ事にした。
 その人物とは、1129年説でも1130年説でも、どちらにせよ1129年7月に関白に就任した藤原忠通ということになる。
 藤原忠通といえば、左近衛大将を務めた事もある勇将である。
 また後に、日本最強の怨霊である崇徳上皇と、日本最強の摂関である道長・頼通の能力を兼ね備えた藤原頼長と、日本最強の武士である源為朝と、その他諸々が手を組んで反乱を起こした事があったが、そんな彼等ですら、藤原忠通の前では烏合の衆に過ぎなかったとも言われている。
 百人一首でも、海に関する歌を詠んでいる。「わたのはら こぎいでてみれば ひさかたの くもゐにまがふ おきつしらなみ」と。
 剽悍な隼人を率いて渡海して南方に攻め入る関白として、遜色のない人材である。
 最後はいつもの公孫勝の妖術で全滅してしまうのだが、その後も史実では活躍しているので、きっと死んだふりをして生き延びたのであろう。李逵に殺されたかの様に見えた羅真人が翌日平気な顔をしていたのと同じ原理である。

水滸後伝 (1) (東洋文庫 (58))

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完訳 水滸伝〈1〉 (岩波文庫)

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