『サクラ大戦 漫画版』第二部の紹介

 第一部はこちらをどうぞ→https://gureneko.hatenadiary.org/entry/20130926/1380165723

第1巻

 原作ゲーム後半通り、葵叉丹が正月に決起する。

 ただし幹部の黄昏の三騎士の猪・鹿・蝶は、叉丹の反魂の術で復活した黒之巣死天王たちという改変がされている。

 原作の黄昏の三騎士は登場の背景事情が一切語られなかった連中であり人気もあまり無い。だから彼らを無理に独自設定で深掘りをするよりは別人に取って代わらせるというのは、誰でも思いつきそうな判断である。

 ただしその「別人」の三幹部として、『サクラ大戦TV』における復活の死天王たちの設定とデザインを使ったのは、見事な着想である。

 これに限らず、多様な媒体で展開していった関連作品を上手に元ネタにしているのが、本作品の魅力である。先行作品への敬意も感じられ、また原作本編以外の『サクラ大戦』の世界を幅広く受容してきた層へのサービス精神も感じられる。

 終盤では『サクラ大戦II』で出てきた予算不足の話題が登場し、物語の進捗の遅さと相俟って「作者は『II』の漫画化までは諦めたのかもしれない」と不安にさせられた。

第2巻

 第1部では黒之巣会の手強さの性質を変えたために描かれなかった、「紅のミロクによる帝国華撃団の本拠地の発見」という原作ゲーム前半の物語が、ミロクの死体を再利用した漫画版の「蝶」を使って再現されていた。

 死天王と黄昏の三騎士を同一人物にしたことの効果が、このような形でも出てきたのは予想外であった。

 他の作品ではほとんど描かれることの無い夢組が登場し、かつその戦い方や敵が『サクラ大戦TV』へのオマージュになっていたのも、個人的に高評価である。

 本拠地を発見されたため猪鹿蝶の全員が帝国劇場に攻めてくる。この時期の叉丹一味は前半の黒之巣会と違って幹部が一人ずつ出てくる必然性がほとんど無いので、原作ゲームより自然な話の流れである。

第3巻

 猪鹿蝶との戦いは概ね引き分けに終わり、光武は完全に壊れてしまう。

 原作ゲームでは「いきなり敵の強さがインフレしたから」と説明されていた搭乗機の交代であるが、本作では降魔は序盤から出現していてしかも極端に強かったわけではないので、これまた自然な話の運び方と言える。

 後継機の「神武」もいきなり登場させるのではなく、山崎真之介に対する複雑な感情を抱えた科学者としての李紅蘭が、神崎重工で開発協力をする物語が丁寧に描かれていた。

 神武の開発に李紅蘭が苦戦する理由もしっかり作られていた。降魔戦争中に神武を設計した山崎真之介が、命と引き換えに魔神器で霊力を一気に放出出来る真宮寺一馬の能力に憧れていたため、似たような暴走が可能なように意図的に設計されていたからである。その設定の説明をするという自然な形で、そろそろ必要となってきた藤枝あやめと山崎真之介の前日譚も語られていた。

 このように単に先行する『サクラ大戦』の関連作品へのオマージュを鏤めるだけでなく、それらを有機的な形で纏め上げているのが、やはり本作の最大の魅力である。

 また光武と神武の繋ぎとして「三色スミレ」が投入される。これは執筆当時の最新の作品であった『サクラ大戦 太正浪漫学園譚』へのオマージュである。

 なお第9話と第10話との間の62ページのイラストでは、『サクラ大戦 奏組』へのオマージュが見受けられた。これは当時他の会社で連載中の漫画であったので、流石に本編には盛り込めなかったというわけだろうか?

第4巻

 舞台版出身のダンディー団が登場し、さらに48ページでは彼らが「風の噂に聞いたんだ」というギリギリ許されそうな形で、当時はタイムリーであった『奏組』へのオマージュを実現している。

 藤枝あやめの降魔化の進捗が思わしくない葵叉丹は仕方なく力攻めを仕掛けてくるが、三色スミレに手間取っている内に神武の改造が間に合ったので撃退される。

 葵叉丹はもっと早く攻め込んでいれば勝っていたかもしれないので、この巻ではほぼ完全に失敗者であったと言える。

 巻末の番外編では旧星組の二人が「未来からやってきた」という形で登場しているが、これは流石に『サクラ大戦 漫画版 COLLECTION』での公約を果たしたものとは認めがたい。

第5巻

 「降魔は帝都への怨念の具現化なので、帝都から離れると弱体化する」という設定が明かされる。

 しかしそんな弱体化した降魔でも、数の暴力で川崎を襲い、完成間近であった神武六機を大破させてしまう。

 前巻では単なる敗北者であった葵叉丹であるが、持ち帰った「改造された神武は手強い」という情報はしっかり活用してきたことになる。

 米田一基が先走って葵叉丹に一騎打ちを仕掛けたため、本人は重傷を負い、藤枝あやめは死亡した上に死体も持ち去られてしまう。

 原作と違って自己の降魔化を抑えていたあやめであったが、死亡からの叉丹による反魂の術により、結局原作と同様に叉丹側の駒となる。そして切り札の魔神器も奪い去る。

 繰り上げ式に大神一郎帝国華撃団の司令代行となったため、月組隊長の加山雄一が久々に大神の前に出現して指揮下に入る。

未公開エピソード

 5巻末から6巻冒頭の間に未公開エピソードがあるので、このリンク先(https://sakura-taisen.com/archives/goods/kodansha25/)から読む必要がある。

 この未公開エピソードによると「太正十三年三月」の「赤キ月ノ夜」に聖魔城が隆起したことになっている。

 なお現実の地球の日本では「大正十三年二月二十一日」皆既月食であった(参照→https://eco.mtk.nao.ac.jp/cgi-bin/koyomi/eclipsey_l.cgi?eclid=19241)。

 最終決戦の日付を原作に合わせたいがための改変なのであろうが、珍しい天文のイベントがこれだけ近傍にあったのであるから、暦や天体の運行のほうを改変するのではなく、物語のほうに一工夫加えるべきであったというのが、私の立場である。

 未公開にした理由は、私と似たような批判者が多かったからなのかもしれない。刊行された漫画だけを読んだ読者には、最終決戦の日付が曖昧になったというわけだ。

第6巻

 聖魔城の前に絶対的に不利に見えた帝国華撃団であったが、重傷後に自然な形で行方をくらましていた米田一基が、川崎から空中戦艦ミカサで駆け付ける。そこには密かに修理に成功していた神武も搭載されていた。

 米田はもしも第5巻で大怪我をしていなければ、急に姿を消したことを敵に不審がられ、このような

 第4巻で大敗北したかに見えた葵叉丹がその敗北すら勝因にして第5巻では優勢になり、華撃団側はその劣勢の事情すらバネにして第6巻で再起するというこの展開は、非常に私好みである。

 華撃団側は、ほぼ原作通りにカンナ機が囮になって他の神武が聖魔城の内部に突撃する。

 葵叉丹側は内輪揉めの結果、猪・鹿・殺女の変則構成の三名が時間稼ぎの前衛となり、蝶が葵叉丹の近侍として残った。これが次の巻以降にどんな吉凶をもたらすのか、不安と期待が渦巻く。

第7巻

 第一部では活用されなかった原作ゲームの「白銀の羅刹は召喚術による各個撃破が得意」という設定が、再生羅刹の「猪」を使って活用される。この戦いでは『サクラ大戦TV』の「羅刹は生身の格闘でも霊子甲冑を圧倒出来る」も活用される。

 猪・鹿は記憶を取り戻すが花組の前に敗死し、蝶は記憶を取り戻して葵叉丹に挑むも粛清される。

 殺女は聖魔城の主力兵器である霊子砲の防衛を担当しており、大神一郎との一騎打ちを受け入れる。

第8巻

 殺女について「実はこの時点までにカンナと出会って記憶が戻っていた」という設定が明かされる。これ以上葵叉丹に利用されないために、話し合いの末に殺女は大神一郎に切られる。

 悲劇の末に花組が一歩リード出来たかのような内容であったが、葵叉丹は殺女の死で「人」としての執着心がこれで消え去ったことで、聖魔城の力との相性が良くなり巨大化する。

 原作では超展開に思えた巨大サタンの登場であるが、本作では実に説得力のある展開の中で登場してきた。しかも単なる独自設定ではなく、原作では語られなかっただけの裏設定だとしても十分有り得る内容である。

第9巻

 花組もミカサも最後に捨て身の攻撃をして、サタンに一矢報い、霊子砲も破壊する。これで聖魔城は暴走し、「霊力より強いから」という理由でサタンが活用していた妖力は制御を失い、サタンの身を遠からず滅ぼせる状態となる。

 暴走してサタンを苦しめる妖力のイメージは、『サクラ大戦TV』の復活版死天王のデザインを活用している。ほぼ活躍出来ないまま粛清されたかに見えた紅のミロクの、最大の見せ場とも言える。

 また原作版では超展開の扱いをされていた天使版のあやめも、「葵叉丹が殺女を作る際に封印していた部分が、肉体の消滅と同時に解放された」という、これまた非常に説得力のある形で登場する。

 これで帝国華撃団側の勝利は一応確定する。

 しかしここで単に撤退するだけでは負の感情のエネルギーは残り、問題の先送りになってしまうという話になる。

 そこで花組は天使版のあやめの助力の下、サタンに空中戦を挑み、山崎真之介の魂を剣で浄化するという形で戦いをベストエンディングへと導く。

 この最後の空中戦も原作では超展開に思えたものだが、これならば実に自然である。