市民としてのささやかな自己満足

 私は募金をした事がほとんどない。最近よくマスコミ等で告発されているように、自分の募金が何に使われるか知れたものではないからだ。
 ただし、小額の金を犠牲にして正義感を満たす活動をやってないわけではない。
 悪徳が発覚した企業から、少なくとも一年間は物を買わない様に工夫をしている。
 例えば、あるハンバーガーショップが、ハンバーガーをほんの数円でも安くするために、名目だけの「店長」に無償の残業をさせていた事件が発覚したとする。
 この時、直接の「責任」は経営者にのみあると考えるべきなのかもしれない。しかし、経営者がそうした行動に走った背景に、「もっと稼げ!」という株主や「もっと安く!」という消費者の意向があるのは間違いない。
 一件貨幣と無関係な悪徳、例えばステーキショップでの監禁・陵辱事件についても、劣悪な人間との雇用関係や業務委託は、経費削減の一環であると言える。
 だから私は消費者の一員として、ほんの少しの身銭を切って、内部に対しても相対的にまともな企業から物を買う様に努力している。
 ここにその理念を書いたのも、世界のどこかで同志が一人でも増えれば、ほんの少しだけ世の中が良くなるかもしれないと思うからである。