富野由悠季著『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』

 人物描写・背景説明がほとんどない。それでいて登場人物は多く、話の進み具合も速い。このため会話も誰と誰とが話しているのか判り難い場合が多く、状況も掴みにくい。戦闘シーンは擬音語の連続で誤魔化してある。
 著者の脳内に鮮明な映像が流れているであろう事は推測できるのだが、それがあたかも共通了解であるかの様な前提で筆が進められているので、読者の方では何が起きているのかまるで判らない。
 例えるならば、テレビドラマとして書かれた台本をそのままラジオドラマに流用した様な作品である。
 こうした文体が意図的に採用される文学もある。歴史小説を著す際に既に大方の読者が知っている歴史的事実の煩瑣な説明を避ける場合や、不条理文学において無限に近いまでの解釈の多様性を担保する場合等である。
 しかし文法の誤りや表記の一貫性の欠如等の他の致命的な失敗も数多い事を鑑みるに、本作品における表現の稚拙さを意図的な試みと好意的に解釈するのは無理がある。
 こうした特徴は、実は著者を同じくする他のガンダム小説にも言える傾向なのだが、特に本作品ではそれが強烈な欠点として目立っている。その原因は、映像作品としての『閃光のハサウェイ』が存在しないからであると思われる。
 『ガンダム』・『Ζガンダム』等は先行する映像作品があったため、話の内容を幾分か変更しても、登場人物・小道具・状況設定等について大多数の読者との間で前述した「共通了解」が存在していた。このため架空の未来世界を舞台としながらも、これまた前述の「歴史小説」的な省略が可能だったのである。
 著者のこうした作品群に酷似しているのが、実は同人誌やファンサイト等を活動の場とする二次創作なのである。勿論そうした作品の書き手の多くはいざ自作の小説を書く際には文体を変えるであろうし、それが出来ない人のほとんども分を弁えて二次創作に専念するであろう。
 つまり本作品は、映像作品に頼った二次創作的な文章ばかり書いていた人物が文体を変えないまま無理に分不相応の創作に挑戦した結果生み出されてしまった失敗作なのである。
 ガンダム小説を全て押さえておきたい人と、上述した欠点をも一つの魅力として味わえる人以外は、購入を避けるのが無難かと思われる。
機動戦士ガンダム〈1〉 (角川文庫―スニーカー文庫)

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