映画『動物農場』――ベンジャミンはそんなキャラではない!

 映画『動物農場http://www.ghibli-museum.jp/animal/)』が全国各地で上映されている。私も観てきた。
 公式サイトの「作品解説(http://www.ghibli-museum.jp/animal/about/)」では、ラストシーン以外は原作に忠実であるとしているが、実際には様々な部分で改変がなされている。変更の原因としては、川端康雄氏が強調している様なCIAによる圧力(http://www.ghibli-museum.jp/animal/neppu/kawabata/)も確かに感じられた。ただその他にも、アニメならではの手法によるものや、単なる簡略化や、原作執筆時と異なる国際情勢の反映のためと思われる変更点も数多く見られた。
 以下に分析や感想を交えつつ、原作と比較する形で内容を紹介していきたい。
 まずメージャーは、最初の場面の演説のクライマックスで死んでしまい、革命の準備等の手続きを指導しない。アニメとしてはこの方が劇的な状況を演出出来るので、正しい改変と言える。原作ではマルクスレーニンの中間的存在であったが、マルクスとしての側面がこれで強まっている。
 次に、ロシア正教を象徴する大ガラスのモーゼスが全く活躍しない。原作では新旧両体制において現実の苦悩から目を逸らさせる役割を担っていたのだが、映画ではモーゼスかもしれないカラスがちょっと映っているだけである。これはキリスト教を悪役にしないためのCIAの配慮かと思われる。
 革命直後は、まさに田園牧歌的な楽しい労働風景が、一歩間違えば中弛みとなる程の長さで描かれている。これから起こる悲劇を対比的に強調する効果がある。『バイオハザード4』のエンディングの前半の様なものである。
 後に秘密警察へと成長する小犬達の親は戦死した設定になっている。戦死者が羊である必然性は原作にも無く、親犬も原作にはその後は登場しないので、犬が出てきたらすぐ警察だと判る様にした、優れた変更であると思われる。
 スノーボールは、原作より遥かに優れた公平無私の指導者として描かれている。普段対立しているナポレオンと組んで林檎や牛乳を豚の特権とした話は省略されている。メージャーから減ったレーニン成分が与えられたのかもしれない。子供向けのアニメであれば、ナポレオンを絶対悪として描くための優れた手法と言えなくもないが、この作品において話を判りやすくしてしまうというのは失敗であると思う。ただし、追放直前の風車問題での会議では、多数の支持を取り付けるため週四日労働の公約を、まず三日へ、更には一日にまで減らすという大衆迎合型の政治家として、原作より悪く書かれている。あるいは数ある悪徳をこの瞬間に集約したのかもしれない。
 スノーボールの追放の場面は見所である。犬に何度も追いつかれそうになりながらも、必死の形相と躍動感溢れる動きを見せながら逃げていく。私はスノーボールに思い入れは無かったのだが、それでもこの場面では自然と追われる側に感情移入してしまい、頼むから逃げ切ってくれと祈ってしまった。これはアニメだからこそ可能だった表現である。
 さて、ナポレオン独裁政権が誕生するのだが、原作でナポレオン・スクィーラーと並んで三頭体制の一翼を担っていたミニマスが登場しない。ミニマスは原作でもほとんど活躍しないので、これは良い省略である。一方、民主主義維持派の四頭の豚が登場せず、豚内の粛清が無かったのは愚かな改変である。
 粛清はこの映画の第二の見所である。豚の都合の良い様に戒律が書き換えられる場合、普段は元のペンキと同じ色での付け足しが行われるのだが、「動物は他の動物を殺してはならない。」についてだけは、粛清の犠牲者の血で赤く「理由無く」と書き足されるのである。これもアニメならではの手法である。
 風車の破壊が、近所の農場主との戦いの前半に起きるのではなく、戦勝の油断を突いたジョーンズの自爆テロによって起きるというのは、賛否両論があるだろう。だがラストシーンへのつながりという点では、原作も映画も整合が取れている。原作の場合は、戦勝によって悲劇を動物が忘れてしまい、独裁権力への批判も忘れてしまう。映画の場合、戦勝の喜びが悲劇により消し飛び、不満が蓄積され、後の蜂起の遠因となるのである。
 ラストシーンの改変について語る前に、ここで個人的に一番残念だった改変を語りたい。私が一番好きだったロバのベンジャミンの性格が原型を留めない程に変えられているのである。
 原作の彼は世の中が劇的に良くなる事も無ければ悪くなる事も無いと達観しているため、革命が起きても独裁が敷かれても、批判も賞賛も一切せず、自発的な超過労働もサボタージュも一切行わない。その気になれば簡単にスクィーラーぐらいの地位は手に入るだけの知能を持ちながらも、それを押し隠して隠忍自重の日々を送るのである。この態度は、どことなく老荘思想を思わせる。
 ところが映画では、馬のボクサーと一緒にサービス残業に励み、やがては第二の革命の指導者になってしまうのである。これでは単なる正義の味方である。
 さて、いよいよラストシーンである。原作では、英ソ蜜月とその破局とを通じて、豚(共産党員)が人間(資本家)化する場面で幕が閉じられている。ベンジャミン理論が正解だった事が完全に判明するという、救い様の無い最後である。映画では、原作ではついに誕生しなかった衛星国の首脳を招いた会議を、メージャー理論の夢よもう一度とばかりにベンジャミン率いる動物達が襲撃する場面で幕が閉じられている。秘密警察が酒の飲み過ぎで役立たずになっているという描写もあり、この反乱の成功は一応約束されているようだ。CIAによる干渉も感じ取れるし、原作執筆当時との国際環境の変化も読み取れる。
 これを正直にハッピーエンドと解する事も可能だ。その場合、話は浅くなったものの希望の持てる内容になったというのを前提として、賛否両論が語られるであろう。
 しかし、その後に起きる事や事件の背後関係を想像すると、原作以上に深く考えさせられる事もある。
 まず会場を襲うのは、動物農場の動物のみならず衛星国からも集まってきた動物達である。各国で元首の留守を預かっていたはずの幹部達が、この大移動をどうして許容したのか?犬に酒を与えたのは誰か?この種の緻密な反乱は、各国のナンバー2と密約を結ばない限りは不可能であろう。ここで急速に浮かび上がってくるのが、スノーボールの影である。各地の動物の連絡係を務めたのも、スノーボール政権時代に革命の輸出のために編成されたはずの鳩の部隊であった・・・。
 次に農場の指導者となるのが、ベンジャミンかスノーボールかはたまた人間かは不明である。しかし前の革命が堕落した以上、今回の革命も必ず堕落すると私は予想する。メージャーの様に悪辣な後継者を残して寿命で死ぬか、ナポレオンの様に自身が堕落するか、史実におけるマレンコフの様に分権の理想を追い過ぎて犬達の新たな主人に追われるかの、どれかの形態を取って堕落していくであろう。
 革命の腐敗の解決方法が単なる再試行では、僅かな僥倖に賭けた虚しい殺戮の連続である。問題の先送りとすら言える。この映画が作られた当時は第二の革命は夢物語であったが、現代の我々は、文化大革命の失敗も知っていれば、チャウシェスク夫妻を虐殺した後のルーマニアが必ずしも豊かにならなかった事も知っている。
 余談だが、理想の世界が偶然到来するまで永遠に武力闘争を続けるという発想の哀しさは、『るろうに剣心』で悠久山安慈という人物が体現している。またこの問題の難しさを描いたアニメとして、『太陽の牙ダグラム』という名作も存在する。
 色々と文句もつけたが、やはり一見の価値はあると思う。オーウェル文学のファンにも当然薦めたいが、アニメの愛好家にも宮崎アニメの源流の一つとして押さえておくべき一作であると薦めたい。
「以暴易暴兮 不知其非矣」(『史記』伯夷列伝より)

動物農場 (角川文庫)

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バイオハザード4

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太陽の牙ダグラム DVD-BOX The 25th anniversary memory

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