年神と教皇と天皇と中華皇帝

 昨晩、住宅街を歩いていると、既に正月の飾り付けをなし終えた玄関を数多く見かけた。
 日本の年神が異教の教皇が制定したグレゴリオ暦に従って死と再生とを行っているかと思うと、なかなか面白い図式である。
 暦法の継受は近代以前にも数度もあった事なので、現行への変更のみを特別視しようとは思わない。朝廷が暦法を変更すれば神々もまたその決定に諾々として従うと、日本人の多くは信じてきたのであろう。
 つまり、明石市の東経に合わせて日本国中がある瞬間に一度にグレゴリオ暦の一月一日を迎える事を前提にして日本の伝統的な正月の祭を行うという事は、年神への信仰であるとともに、天皇家の年神への影響力への信仰でもある事になる。
 ところで、史書を読む限り、暦法の策定等を通じた時空の支配への意欲に関しては、中華歴代諸王朝の方が本朝より遥かに勝っていた様に感じられるのだが、民間信仰レベルへの影響は如何程のものであったのだろうか?研究してみたいテーマである。
 余談だが、韓国では旧正月の方を盛大に祝っているらしい。一種の抗日運動の意味もあるのかもしれない。これもいつかは研究してみたい。