追憶

 その日私は、当時所属していたボランティア団体の活動の一環として、近所のごみ屋敷の住人を説得しに行った。ごみ屋敷の主人は「ミーゴ爺さん」と自称する老人で、実際に会ってみると意外にも気が良さそうで身嗜みもしっかりした老紳士然の人物であった。
「お電話でもお伝えしましたが、我々は周辺住民の感情だけを尊重しているのではありません。ファッショ団体の『ごみ屋敷を始めとする異質で醜悪なものの存在を許さずに排除する市民の会』通称『醜排会』が、貴方の命を狙っているとの情報もあります。人手が欲しいのなら提供します。」
「お嬢さん、私が自分が排除されたくないからごみを排除する様な人間に見えるのかね?」
「その問いは、私が他者の外面だけを見て内面を理解出来たと思い込む程傲慢な人間であるという前提に立った、非常に無礼なものではありませんか?」
 その時、醜排会が外で示威行動を始めた。
「おいごみ屋敷の住人、貴様は貴様の理念の下、何らかの秩序を作り出しているのだろう。同じ様に我々も我々の正義に従い、貴様を排除した美しい町を作る。まずは正々堂々殺し合い、どちらが本当に正しかったかについては後世の歴史家に判断させよう。」
 私は怖くなってミーゴ爺さんと一緒に居留守を始めた。するとしばらくして窓の外がオレンジ色になり、部屋もだんだん暑くなってきた。
「大変ですよ。だからずっとごみに浸っているといつか本当の社会のごみになってしまうとあれだけ電話で言ったのに、等と今更敢えて言ったりはしませんから、ともかくここは急いで避難して下さい。」
「待て慌てるな。これは罠だ。家を出た途端に殺されるのがオチだ。」
「言われてみればその通りですから、ここは二手に分かれるのが得策かもしれませんね。」
 外に出た私は、醜排会の連中に怒りをぶつけた。
「貴様等それでも人間か!中には私も居たんだぞ!兵役も経験しとらん苦労知らずの若造め、私の六文字斬りを受けて地獄へ堕ちるが良い。おやおや、どうやら六文字斬りとは何か判らないという顔だね。よろしい、今日は機嫌が良いから特別に教えてやろう。六文字斬りとは、敵の脳天へ兜割りを試み、それに失敗した場合に備えて次に首を一閃して刎ね、頭部が義頭であるかもしれないので腹に対しても・・・」
「自分のイデオロギーに適合しない人間を、あたかも人間でないかの様に見做すのは、ジェノサイドへの道ですよ。あと誤解されている様ですが、我々はごみ屋敷反対運動の最中に放火魔を発見したので死に物狂いで犯人を追いかけたけど見失ったのでとりあえずここに戻ってきただけの善良な市民の面々ですよ。」
 私は大いに反省した。幼少期に祖母から、史上最大の悪は軍国主義ファシズムだと思い込んでいた丸山眞男という評論家が学生運動の絶頂期にそれ以上の巨悪に出会って大いに驚いたという怪談を聞かされた事がある。その時は何ともリアリティの無い話だと思ったものだが、どうやら古き言い伝えは真であった様だ。醜排会以上の悪がつい数分前までこの付近にいたのである。
 その日の夜、キュウ州の親戚が危篤になったので、私はニュースも見ずに住み慣れたホン州を離れた。その後も結局キュウ州に住み着いてしまい、引越しも姉夫婦に任せきりだったので、ミーゴ爺さんの生死は確認しないままである。
 かなり魅力的な人物だったので、もし今でもどこかで生き延びているのならば、もう一度会ってみたいものだと思っている。
 流石にごみ屋敷での再会だけは御免したいが。