中学生の頃、外国人の人名の区切れをナカテン(・)で繋ぐ事に違和感を覚えた。普段物事を並列させるために使用しているナカテンをそんな所に使っては、外国人の名前を列挙するのが難しくなってしまうからだ。
それ以来、外国人の人名の区切れには、二重ハイフン(=)を使う事にした。かなり孤独な戦いだった。
後に本多勝一氏が大体同じ様な理由から長年同じ事をしていたと知り、ほんの少しだけ心強くなった。
しかし最近になって私はこの原則に疑問を持ち始めた。イコール(=)記号の使用頻度が高まってきたせいである。例えば、ヨシフ=ヴィサリオノヴィチ=ジュガシヴィリとヨシフ=スターリンが同一人物である事を簡潔に伝える事が出来なくなってしまうのである。
面倒でも「〜は〜である。」と書けば良いと言われればそれまでだが、それを言うならナカテンも「と」等に言い換えれば済む事になってしまう。
分かち書きを記号化してしまうと、結局はその記号や酷似した記号の使用法が極度に制限されてしまうのである。
では空欄にしてはどうだろうかとも思った。
しかし現代の日本語では空欄は空欄で段落変更を意味する立派な記号として機能していると直ぐに気付いてしまった。
いっそ新しい記号を作るのが良いのだろう。
しかし国民的合意の下で新たに記号を作るまではどうしたら良いのかという問題は消えない。
昨日の記事(http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20091205/1260013256)で平凡社の純粋理性批判の中巻を紹介した所、現物とは違って「はてなキーワード」では作者の日本語表記が「イマヌエルカント」になっていた。いっそこの様に分かち書きを再現しないのも良いかなと思った。日本語では日本人の氏名を「本多=勝一」と表記したりはしないのだから。
試しに「パブロディエーゴホセーフランシスコデパウラホアンネポムセーノマリーアデロスレメディオスクリスピーンクリスピアーノデラサンティシマトリニダードルイスイピカソ」と書いてみて、己の浅はかさを知った。
また日本人が初めから記号付きで名付けた名称は、やはり名付け親の意思を原則として尊重するのが正しいだろうとも思い始めた。私自身、「ビグ・ザム」を「ビグザム」と表記されると気分が悪くなる。
迷った末、原則として「=」を使い、後は臨機応変していくという、暫定的な結論に達した。何か新しい解決策を思い付いたり、良い助言を頂いたり、この結論では立ち向かえない問題が発生したら、また変更するかもしれない。
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