『意志の勝利』

 夏にはソ連製アニメを観に行ったが(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20090815/1250309716)、この12月23日にはシアターN渋谷に『意志の勝利』を観に行った。
 私は全体主義国の芸術を拒絶してしまうのは勿体ない事だと思っている。そもそも自由主義国産の芸術や思想の中には、全体主義国御墨付きのそれらに劣るものが幾らでも見出せる。憎むべきは全体主義の制度であって、表現に連座制を適用すべきではない。
 加えて特定の表現を遠ざけてしまうと、まさに全体主義国内における弾圧と同じく、その表現を神格化してしまうし、その表現への免疫を失ってしまう。
 さて、この映画館では水曜日は入場料が1000円になる。しかも休日なのでさぞかし混んでいるだろうと思っていたのだが、上映開始時間の30分前に到着した私も席を好き放題に選べた。
 映画は飛行機から撮影した雲間の映像から始まった。そしてやがて着陸した飛行機から英雄が歓呼の中に降り立つという訳だ。飛行機が珍しかった時代には、これはかなりの効果があったらしい。
 全体的にチャップリンの『独裁者』への影響が感じ取れるのだが、この飛行機のシーンからして既にそうである。『独裁者』では、飛行機から天下ったのは英雄ではなく敗軍の将だった。
 近衛文麿東條英機も、ヒトラーの手法の猿真似をしている暇があったら、『意志の勝利』と『独裁者』の同時上映を推進すべきであった。そうすれば、武運拙くアメリカに敗れてマッカーサーが進駐してきたとしても、誰も彼に心酔しなかったであろう。
 その後しばらくは、民衆の歓迎やヒトラーユーゲントの集団生活が描かれる。半裸の若い男性かドイツの民族衣装を着た女性が大好きな人にとっては喜ばしいシーンが多いと思うが、そうでないとここは少々退屈である。
 次に大幹部の演説が始まる。熱狂している連中が多いが、カメラを向けられても「へへん。」と体を斜めに傾け続けたインテリ風の将校もいた。国防軍の心は掴みきれていないようだ。
 最初にルドルフ=ヘス副総統が登壇し、ヒンデンブルクへの弔辞等も述べつつ、国防軍の機嫌を取っていた。大統領選挙では守旧派と激しく戦ったナチスだが、この時点ではレームを粛清する等して盛んに守旧派に妥協していたのである。
 次のアドルフ=ヴァーグナーも、革命を否定し、国家を支えるのは伝統や制度である事を強調していた。口調だけは力強かったが、舞台裏を知る者にとっては、国防軍への全面降伏じみた情けない演説にしか聞こえなかった。
 最後のヨーゼフ=ゲッベルスは、党内左派だけあって、武力より国民の心を掴むのが大事だと主張していた。これはもう国防軍への挑戦であるし、ヴァーグナーとの抗争でもある。
 その後ヒトラーは、肉体労働者の団体に対して肉体労働を称えたり、子供達に身分も階級も無い未来のドイツの姿を語ったりしている。ここでの彼は左派に媚びている。
 演説をするため、SAとSSが整然と並ぶ中、ヒトラーヒムラー・ルッツェの三人組がトコトコ歩いている有名なシーンもあった。映像だけを見ると美しいのだが、「この中に隠れレーム派がいたらどうしよう?」だのといった内心を想像すると、かなり緊張を孕んだ歩みにも見える。
 登壇後は、亀裂は誤解だの突撃隊の精神は犯されていないだのといった演説がなされる。声だけは力強いのだが、分裂しそうな運動を必死で纏めようとしている姿は少々哀れであった。
 党大会を締めくくる演説でも、ヒトラーは若者を誉めたかと思えば伝統を誉めたりもしている。そして汗まみれになっていた。興奮の汗にも見えるが、冷や汗にも見える。
 最後は「赤色戦線と反動勢力の銃弾に倒れた同志は魂となって我々と一緒にいる!」みたいな歌と共に行進が続いて終わりである。
 私には、赤色戦線と大して変わりの無い党内左派と反動勢力そのものである国防軍の混成部隊を、「騎獣之勢」から下りるに下りられなくなった笛吹き男が必死で纏めつつ、地獄に向かって行進しているようにしか見えなかった。
 しかし映画館を出て数分渋谷を歩いている内に、評価が好転した。天長節だというのに騒音を撒き散らして走っていた黒塗りの街宣車が、ナチスと比べて余りにも貧相だったからだ。
 やはりナチスは凄い。

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