鈴木正幸著『皇室制度』(岩波書店・1993)を読んだ。
220ページ、GHQの態度を紹介するために引用された「皇室典範案に関する交渉の経緯」(一九四六年一二月)には、「これは総司令部係官の間に、天皇の退位を認める場合は、野心的な天皇が退位して政治運動に身を投じ、前天皇としての有利な立場を利用して、内閣総理大臣にでもなると云うようなことがあっては困るから、却って退位を認めない方がよろしいと云う意見が出た為である。」という部分がある。
ほんの数日前に私は「革新政党の支持者で天皇制に反対している人は、一市民となった後の天皇が保守政党から比例第一位で立候補する事態を覚悟しているのだろうか?」と書いたが(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20091221/1261324786)、遥か昔にGHQに先を越されていた様だ。
著者は「これはいかにも欧米的発想であった。」と否定的なコメントをしているが、果たしてそうだろうか?例えば、摂関家に圧迫されていた天皇家が攻勢に転じる事が出来たのは、元天皇の政治家「太上天皇」の力に依ったからではなかろうか?
「具体的にいえば天皇の責任のとり方は退位以外にはない。」と主張していた丸山眞男が(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20090614/1244906691)、仮に天皇を退位させたとしてその後何が起きるかを考えていたかどうかは、少々気になる所である。
それにしても、こう見ていくと権力者にとって天皇家というのは中々扱いが難しい存在である。おそらく徹底的にその自由を奪い多額の予算を費やして首都の中枢に軟禁するのが上策なのであろう。だが史上初めて権力がこの封印作業に成功した時代には、「伝統的な一家だからという理由で政治権力がその自由を奪って良いのか?」という思想も蔓延してしまったのである。
ここまで書いてきて、大友克洋作『AKIRA』のアキラを思い出した。
あの漫画では、世界大戦の原因になったアキラを日本国は多額の予算を費やして封印していた。アキラは、解き放たれた後は危険なスーパーパワーとなるが、本人の意志は「無」である。そして島鉄雄が摂政としてアキラを中心に大東京帝国を建てるのである。ここでアキラの称号は「大覚」となるが、これも南朝の「大覚寺統」を参考にしたのかもしれない。
日本国と天皇家の関係についての問題提起や提言をしようという積極的な意志が作者に有ったかどうかは定かではないが、じっくり読めばこの問題について何かしらの参考になる箇所が見つかるかもしれない。
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