今度は『竜馬がゆく』を読了――信夫左馬之助と社会契約

竜馬がゆく (新装版) 文庫 全8巻 完結セット (文春文庫)

竜馬がゆく (新装版) 文庫 全8巻 完結セット (文春文庫)

 最近毎日異常に忙しい筈なのだが、ノートすら開けない満員電車に乗っている時間が長いせいで、文庫本を読み終えていくスピードだけは一人前の私である。
 『翔ぶが如く』(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20100427/1272306618)に引き続き、今度は『竜馬がゆく』を読み終えてしまった。
 司馬遼太郎の知人だったらしい作家が、司馬はこれを書いている途中で「時代小説家」から「歴史小説家」になったと主張しているのを、昔テレビで見た事がある。作家はその根拠として、寝待ノ藤兵衛という架空の盗賊の存在感が中盤から急速に薄れていった事を挙げていた。
 今回の読書はその主張を検証するという点に主眼を置いた。
 そして確かにそうした傾向はあると感じた。後半は竜馬の周囲に実在の人物達が溢れ、藤兵衛の存在感はほぼ完全に消えてしまっていた。
 しかし藤兵衛以上に作風の転換のせいで消えた人物として印象深かったのは、信夫左馬之助である。この男は、竜馬を逆恨みしていて、物語の前半では何度も暗殺を企てては失敗していた。そしてその度毎に竜馬は彼を何故か助命してしまうのである。結局左馬之助は新撰組にまで入るのだが、後半では不思議と完全に姿を消してしまう。
 物語の最後、剣の達人である竜馬が不意を突かれたために凡人達に暗殺されてしまうシーンを読んで、私はここでこそ信夫左馬之助を登場させるべきだったと思った。
 どんなに弱い人間でも、努力や工夫や運や数合わせによって、時には強い人間を殺せてしまうのである。だからこそ社会契約による自然権の一斉放棄が必要だという考え方が出てくるのである。
 万国公法に通じ、『船中八策』で「社会契約による自然権の一斉放棄」の近似値である「やがて廃刀令も発する明治維新」の原型を作った立法者が、まさに消え行かんとする自然権の最後の足掻きの一太刀で命を落とすというだけでも、相当な歴史の皮肉であったと、私は思っている。
 ここで更に、偶然手元に刀を持っていなかった竜馬を下手な剣術で殺したのが、いつも竜馬に負けていた信夫左馬之助であったなら、そもそもかなり面白いどんでん返しであり、また明治維新についてより深く考える切っ掛けになるだろうと思ったのである。
リヴァイアサン〈1〉 (岩波文庫)

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