孔丘の三倍

 『墨子』公孟篇に以下の様な章がある。本日はこれを紹介していこうと思う。
「有游於子墨子之門者 身體強良 思慮徇通 欲使隨而學 子墨子曰 姑學乎 吾將仕子 勸於善言而學 其年 而責仕於子墨子 子墨子曰 不仕子 子亦聞夫魯語乎 魯有昆弟五人者 亓父死 亓長子嗜酒而不葬 亓四弟曰 子與我葬 當為子沽酒 勸於善言而葬 已葬 而責酒於其四弟 四弟曰 吾末予子酒矣 子葬子父 我葬吾父 豈獨吾父哉 子不葬 則人將笑子 故勸子葬也 今子為義 我亦為義 豈獨我義也哉 子不學 則人將笑子 故勸子於學」

 墨翟大先生の門下で学びたいという者がいた。体力も知力も抜群だった。墨翟大先生はこの人材が欲しくて堪らなかったので、「しばらく吾輩の下で勉強したら、就職させてやろう!」と巧言をもって勧誘した。
 一年後、彼は墨翟大先生に就職先を紹介するよう迫った。
 墨翟大先生の言う事には、(以下、超訳
「君を就職させる積もりは無い。君は魯のあの物語を知っているかね?昔々、魯に五人の兄弟がおりました。ある日、兄弟の父が死にました。でも長男は酒ばかり飲んで葬儀を行いませんでした。四人の弟は『父上の葬儀を行ったら酒を買ってあげよう。』と巧言を用い、長男に葬儀を行わせました。葬儀の後で長男が『酒買ってくれ!』と迫った所、『あれは兄上が葬儀をサボって笑い者になるのを防ぐための方便だったのだ。』と言いましたとさ。同じく吾輩も、君が笑い者になるのを防ごうとして頑張ったんだぞ!」
 
 私が思うに、これは笑い話とも取れるし、墨家に同調的な視点からはパターナリズムの重要性を説いた話とも取れるし、墨家に批判的な視点からはカルトや麻薬の勧誘の恐怖を描いた話とも取れる。
 さて、墨家による記録上は、大先生が公約した勉学の期間は「姑」=「しばらく」となっているが、新弟子が「其(期)年」=「一年」で怒ったという事を鑑みるに、事実上は「一年以内」と相手に思い込ませる様な勧誘を行ったのであろう。
 ここで思い起こされるのが、『論語』泰伯篇に収録された孔丘先生の「子曰 三年學 不至於穀 不易得也」という台詞である。これについてはid:T_S氏が以前、「三年間学んでも俸給を得られないようなヤツはめったにいないよ」という解釈を紹介していた(参照→http://d.hatena.ne.jp/T_S/20120610/1339261420)。吉川幸次郎の『論語 上』(朝日新聞社・1978)の270ページによると、これは皇侃が『論語義疏』に引用した東晋の孫綽の説であり、また吉川が最も好み且つ従った説でもあったらしい。以下、仮にこの説に従う。
 孔丘先生とその愉快な後継者達は、「うちで三年学ぶと一人前になれますよー!授業料も干し肉がたったのこれだけ!」と勧誘を行っていた訳だ。これに対抗する新興の墨翟大先生としては、「うちの学習効率は通常の三倍だよー!!!」とでも勧誘するしかなかったのであろう。
 当然クレーマーや脱会カウンセラーに悩まされたであろう。そして彼等への対策として試行錯誤を重ねる内に行き着いたのが、有名な魯の五人兄弟の葬儀の物語の引用だったのだろう。
 皮肉な事に、この物語は葬儀の大切さを前提にしているので、薄葬論を主張する墨家とは相性が悪い。それでも引用したという事は、試行錯誤の際に確認されたこの話の引用の威力が持つ魅力に、墨翟大先生は抗えなかったのであろう。
 それにしても怖ろしいのは、大法螺も弁解も孔丘先生の三倍凄い墨翟大先生である。
「汙邪詐偽 孰大於此」(『墨子』非儒下より)
(関連記事→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20121111/1352638349

墨子 下 新釈漢文大系 (51)

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論語義疏 (1-6)

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