続・大川隆法著『西田幾多郎の「善の研究」と幸福の科学の基本教学「幸福の原理」を対比する』(幸福の科学出版・2014)を読んでみた。

 この文章は、元々は「続・大川隆法著『西田幾多郎の「善の研究」と幸福の科学の基本教学「幸福の原理」を対比する』(幸福の科学出版・2014)を読んでみた。」という記事(http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20150223/1424633631)に寄せられた、id:antikkumaさんのコメントへの返信として書き始められたものであった。しかし書いている内に、コメントとしては異例の長さになったため、続編として一個の独立した記事とする事にした。
 こうする事で、第一に、読者の皆様の閲覧の便宜に貢献する事が出来たと思う。第二に、これ程面白い箇所を見落としていた自己への批判の要素も強くなり、以後の戒めに出来たと思う。第三には、antikkumaさんの御指摘が如何に鋭いものであったかが一層明らかになり、細やかながら恩返しにもなったかもしれないと考えている。
 正編では、大川隆法著『西田幾多郎の「善の研究」と幸福の科学の基本教学「幸福の原理」を対比する』(幸福の科学出版・2014)の「「オリジナルの根本思想を説く人」と「二番煎じの思想家」との違い」という節で、「西田幾多郎はオリジナルな思想家であったから他人の著作の引用は必要なかった」という意味の事を著者が語っているというエピソードを紹介した。
 私も、『善の研究』は大昔に読んだ際の朧気な記憶しか無かった。その記憶の中では、西田は西行やらニュートンやらデカルトやらの発言を縦横無尽に引用し、尚且つその発言の出典を示していなかった。だから著者のこの西田評にも、特に指摘を加えようという気にはならなかった。
 これに対し、antikkumaさんから『善の研究』は「初めの方のページは出典だらけ」だという御指摘を頂いた。
 そこで実際に、私が所持している岩波文庫の『善の研究』(1965年の第三十二刷)を初めから読んでみた。
 すると確かに、William James(1842-1910)やGeorge Stout(1860-1944)の著作が何度も紹介されていた。折角なので証拠の写真も貼っておく。

 出版年・出版地等の情報は欠落しているので、今日の学問が要求する水準には達していないかもしれない。しかし著者の西田評が出鱈目であるという事だけは証明出来たと思う。
 ニュートンデカルトの発言に典拠が示されていなかったのは、おそらく余りにも古く且つ有名な人物の発言であったからなのであろう。
 それにしても、著者は何故こうした出鱈目を書いてしまったのであろうか?
 第一に考えられる仮説は、私と同じく西田書に対する大昔の朧気な記憶を盲信し、それを根拠にして「対比」とやらまでしてしまったというものである。
 第二には、『善の研究』の成立過程のエピソードが、著者に捻じ曲がって伝わってしまったのではないかという事も考えられる。
 先程紹介した私の所持する『善の研究』には下村寅太郎氏による「解題」が付されている。それによると、『善の研究』は本来は講義の草案であり、一部が印刷されて学生に渡されたり、雑誌に掲載されたりしていたとの事である。そして「哲学雑誌」第二十二巻第二百四十一号に掲載された部分は、『善の研究』に収録される際に、「引用書の頁付けが付加され」る等の微修正が加えられた、という話も登場していた。
 こういう複雑な成立過程の事情が、伝言ゲームの中で「西田は自分の頭で考えながら書くタイプだったので、出典の紹介も随分疎かだったんですよー。」という形に簡略化され変質した上で、著者に伝えられたのかもしれない。
善の研究 (岩波文庫)

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