中学校で異分子だったボクと東先生の話

 小学生の頃のボクは、色々と自分で考える子だった。なぜ自分で考えることにしたかというと、偉い校長先生がそう命じたからだ。
 考えてばかりだったので、いつも孤立していた。
 いっぽう、何も考えていない子たちや何も考えていない蟻さんたちは集団行動が得意だった。それどころか、彼らは全体で一個の巨大な脳を形成していた。
 卒業式の日、担任の安西先生は、「国歌斉唱の時、みなさんは立っても座ってもいいことにします。」と言った。ボクは自由が好きだったので、大変うれしく思った。
 そしていつものように自分の頭の中で色々と考えた。
「立っても座ってもいいのならば、中腰も当然認められるであろう。だがその程度の事は不良でも考えつくことだから、もしも自分以外に中腰の連中がいたら埋没してしまう。ここはやはり、逆立ちをしよう。「立ち」という言葉が入っている以上、これはこれで立ち方の一種であろう。きっと一生の思い出になるはずだ。一生の思い出になるということは、生涯にわたって思考の材料としての記憶が一品増えるということであり、生存戦略に資するであろう。」
 卒業式の日、僕は逆立ちをした。
 すると安西先生が近付いてきて、ボクの顔面を強かに蹴った。
「ばっかもーん!貴様にそんな姿勢をとる自由を与えた記憶はない!」
 校長先生もボクを蹴った。
「自分で考えろと命じたが、その考えに基づいた動作を許容した記憶はない!」
 こうしてボクは自分が異分子だったのだととことん思い知った。
 
 中学校では、この失敗を踏まえて周囲に溶け込む努力をした。具体的には、自己を滅却して周囲と一体化するために、「個体」という概念を曖昧化させる生命である「粘菌」についてよく調べた。あと『新世紀エヴァンゲリオン劇場版』などの研究にも励んだ。
 その甲斐があって、ボクという存在は半ば消滅していた。それはかなり平和な日々だった。
 一年生の時の担任の東先生は、色々と個人的な悩みを抱えているはずなのに、それでもいつもニコニコしている先生だった。こういう性格の先生が担任だったことも、ボクが平和に生きられた理由の一つだ。
 約一年の時が過ぎ、卒業生を送り出す卒業式の練習が始まった。東先生の与える自由は、安西先生のように限定されたものではなかったので、ボク以外にも相当な自由を実践する生徒が多かった。
「みなさんは国歌を歌っても歌わなくてもいいんですよ。」
 こう東先生が言ったので、本番では多くの生徒が様々な行動に出た。
 甲くんは「君が代」を一文字置きに歌った。
 乙くんは多数派が歌い終わった後で、一人だけ「君が代」の二番を歌った。東先生はニコニコしていた。
 丙くんはその後で、金日成を讃える歌を歌った。それでも東先生はニコニコしていた。
 ボクは嬉しくなって、自分も即興で作った歌を歌うと宣言してしまった。
「これから、東先生の汚職とセクハラとアカハラを告発する即興の歌を歌います!」
 すると東先生のニコニコ顔がニヤニヤ顔になった。
「やはり貴様が不穏分子だったか。こういう奴を炙り出すには、百家争鳴運動を装うのが一番だ!」
 どうやらボクは中学校でも異分子だったようだ。それでも一応、二年生への進級には成功した。