「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という諺について

 悪僧が悪事をはたらく際に、自分の風体を少しでもその悪事に活用していたならば、その悪僧の悪事を憎む者が、その悪僧の袈裟をも憎むのは当然である。
 悪僧が被害者からむしりとった大金で壮麗な袈裟を新調して、その袈裟の威光でさらに多くの人を騙したならば、私は袈裟どころか、金欲しさに悪僧の言いなりになって袈裟を作ったり売ったりした人物をも憎むだろう。
 最近友人が、ある坊主の袈裟を批判した。
 私は当初、その批判に7:3ぐらいで反対の立場だった。「お気持ちはわかりますが、問題視するほど美しい袈裟でしょうかね?それに○○屋製の袈裟は重いから、着ると悪事の後の逃げ足が遅くなるという面もありますよ。」と。
 だが別の人物が、憎い坊主の袈裟を憎むという発想自体を否定してきた。私はこれに関しては10:0で友人の味方である。