井沢元彦著『脱・中国で繁栄する日本 国を滅ぼす朱子学の猛毒を排除せよ』(徳間書店・2015)

評価 知識1 論理1 品性2 文章力3 独創性1 個人的共感1
 全体を貫く論旨は、中国・韓国・日本に共通する欠点の多くは朱子学に由来するものであるから、その害が一番弱い日本はさっさとその世界から抜けるべきだというものである。
 こういう趣旨の本で北朝鮮の話題がほとんど出てこないのは最大の弱点と言っても良いが、それについては一旦さておく。
 上述した要旨から判るように、実際の中身の要約になっているのは副題の方なのだが、反中国的題名な題名の方が売れるという風潮に媚びてか、より質の低い内容の有象無象の愛国本と似た本題で出版されている。
 人によっては「だからそういう類の本よりマシなのだ」と擁護する向きもあるかもしれないが、中国関連の諸問題について、自分が暴れ出してしまわないよう読書でガス抜きをしたいという人や、両極端の意見を一応聞いておこうとして購入した個人や図書館を、事実上騙したという点においては、有象無象の低質愛国本にすら劣ると言えよう。
 題名以外にも、著者よりも出版社こそがより深く反省すべき点が多々見受けられたので、先に列挙しておく。
 160ページ11行目では、田沼意次が「田辺意次」と表記されている。同じページの他の行では「田沼」と書かれているので、実は田辺説が正しいという事は無いだろうし、仮に田辺説が正しかったとしたら他の「田沼」表記の方が全て間違いという事になる。
 215ページ、大黒屋光太夫の振り仮名が「だいこくやこうたろう」になっている。
 254ページでは、「当時、陸軍大学校の卒業生のうち上位五名は天皇陛下から恩賜の軍刀を授かることができました。彼らは「軍刀組」と呼ばれ、エリート中のエリートとして君臨しました。」とある。実際には軍刀を貰えたのは原則として上位六名であり、それについては著者が責を負うべきなのだが、この件にはまだ続きがある。
 著者はこれに続けて「東京帝国大学の卒業生上位五名は恩賜の銀時計を授かったので「銀時計組」と呼ばれました。」とある。実際には成績は学部ごとに分かれて集計されていたので、帝国大学の卒業生上位五名等という大雑把な基準で銀時計が与えられていたのではないので、これについても著者には反省を促したいのだが、まだ話には続きがある。
 255ページ左下には、前ページにおける著者の主張を完全に無視して「超エリート「銀時計組」の東条英機」という説明書きとともに東条英機の写真が貼られているのである。おそらくは、あやふやな知識しか持たない出版関係者が、陸軍大学校を首席で卒業して恩賜の望遠鏡を入手した東条英教あたりと混同した上で、更に著者の原稿を斜め読みして、勝手にこういうものを付け加えたのであろう。
 さて、続いていよいよ本文の批判に入る。
 著者は他の著作でも「歴史学会の定説」を独自説の立場から批判する事が多いのだが、『逆説の日本史』では一応歴史学者の論文や著作の具体名を表記してから批判する事が多かったのに対し、本書ではこれが定説だと特に証拠もなく言い張り、それを倒して見せるという立場へと堕落している。自分自身が若き日の自分のエピゴーネン達のレベルに堕してしまったと言っていいだろう。
 特に酷かったのが152ページで、まず「生類憐みの令というのは、先にも述べましたが、動物を殺したら、いかなる理由があったとしても、殺した人間を死刑に処すというむちゃくちゃな法律です。」と、生類憐みの令について誇張した嘘を吐き、その印象操作によってこの分野の知識の無い読者に「そういう法令を出したのならさぞかし嫌われているのだろう」という先入観を持たせたうえで、「人間よりも動物の命を大切にした悪将軍という評価が与えられ、それが歴史学会の定説となっています。」と言い張り、自分はそれを覆すヒーローを演じている。
 だが実際には、通説を一歩遅れて反映する学校の歴史教科書ですら、綱吉の再評価は既に行われている。
 綱吉再評価運動において若き日の著者が果たした役割は決して小さくないと私は思うし、「定説を覆すヒーロー」ではなく「定説を覆したヒーロー」を演じた方がより尊敬されるだろうから業績を誇ればいいとも思うのだが、どうやら本人はいつまでも革命家を気取っていたいようである。
 そして皮肉な事に、著者自身が知識のメンテナンスを怠ったため、はるか昔に覆された「定説」を未だに大前提として話を進めていたりもする。
 例えば26〜27ページでは、徳川家康武家の学問として朱子学を導入し、士農工商という身分制度が出来ただのと書いている。これはもう一体どれだけ昔の説だったのかすら正確には語れない程大昔の説である。
 また逆に自分の主張を権威付ける際の自分と同意見の主張を紹介する際にすら、出典が存在しない場合もある。
 43ページでは「アメリカの学者」という謎の人物の「日本の歴史は歴史であり、中国の歴史はプロパガンダであり、韓国の歴史はファンタジーだ」という主張が「引用」されているが、その学者が誰で専門分野が何でどこで語った発言なのかといった情報が一切書かれていない。これこそがファンタジーに立脚したプロパガンダである。
 最後に、上述したもの以外の間違いや気になった点を指摘しておく。
 19ページ、「ほとんどの宗教にあるのに儒教にはないもの、それは「来世」です。」としている。「ほとんどの宗教にある」と豪語する以上、ここでいう「来世」は、文脈上、輪廻的な来世に限られず、広く「死後の世界」を意味するようである。そしてこれに続けて、「儒教は「怪力乱神を語らず」と豪語するだけあって、死後の世界について何も語っていません。」とまで言っている。
 「何も語らない」事が「それを存在しないと主張している」事とほぼ同義だというのは、かなり異常な立場である。著者はそもそも、「余りに常識的な事は逆に歴史史料には残されない」といった論法を掲げて史料偏重主義や一次史料至上主義と戦ってきた人物であった筈である。
 儒教系の古典では人が死後に鬼神になることを前提とした文章も見られるし、一部に無鬼神論的な異端者がいたものの、朱子を含め概ね死後の鬼神の存在を認めている。だからこそ一族の祭祀が絶える事を怖れたのである。
 さらに同ページでは「中国では民衆の宗教である道教にも来世というものがないからです。」とまで言い張っている。これは実に愚かな主張である。現在一般に仏教文化だと思われている閻魔大王のイメージが、どれだけ多くの道教の影響を受けて成立したものか、少しは知ってもらいたい。
 21ページ、「岳飛がは死後、その功績が称えられ「岳王」という王の称号が贈られるのですが」とある。だが実際に追贈されたのは「鄂王」である。「鄂」は西周の頃から存在した由緒ある地名であり、岳飛はそこの名目上の王にされたのである。「岳王廟」とは「鄂王廟」の略字ではなく、「岳」という姓の鄂王を祀っている施設である事を意味しているのである。
 それでも曲がりなりにも岳飛に王位が追贈された事を知っていたのは一応評価出来る。ところがどういう訳か、184ページでは菅原道真が死後に太政大臣を追贈された件について、中国とは違って日本にはフィクションの効用を認める伝統があるだのという方向に話を進めているのであるから驚かされる。
 31ページ、「でも、実際の中国史禅譲が行われたことはありません。」とあるが、これはかなり勇み足であろう。「禅譲」の前に「真に理想的な」等の言葉を加えた方が誤解が生じ難い。
 32ページでも『大日本史』で楠木正成の評価が「百八十度変わった」とされているが、これも勇み足だ。わざわざ「百八十度」等と大袈裟に付け加えると「こいつは『太平記』の存在すら知らないのか?」と思われてしまいかねない。
 35ページ、韓国について「彼らは李朝五百年と誇らしげにいいますが、」と書いているが、「李朝」や「李氏朝鮮」という名称は韓国では嫌われている。
 47ページでは「一方朱子学以降の儒教は、Newをつけて「New Confucianism」、つまり「新儒教」という言い方をします。」とある。だが一般に「New Confucianism」は「現代新儒家」の意味であり、宋明理学を意味したい場合は「Neo Confucianism」と訳す。
 59ページでは、「あの歌詞は科挙に合格した苦学生の故事「蛍雪の功」に由来するものなのです」とある。だが車胤・孫康の時代には科挙は存在しない。勿論、隋代以降の物語においてそれ以前の王朝にも科挙があったかのような物語が作られる事は多いので、二人が科挙に合格したという民間説話が存在していて著者は偶然そういうものを読んだのかもしれないが、それならそれでしっかりフィクションである事を明記すべきである。
 同ページの「中国の晋(二六五〜四一九年)の時代、車胤という若者は、」で始まる段落は、「この二人はともに科挙に合格して高級官僚に出世しました。」となっていて、それが史実であるかのように語られている。それならもうそれで押し通せば一部の読者を一時的に騙せたかもしれないが、62ページでは著者本人が「中国で科挙を初めて導入したのは隋の文帝(楊堅/在位五八一〜六〇四年)だと言われています。」と書いてしまっている。
 そしてこの科挙の制度は試験科目も試験の形態も採点基準も時代によって随分変化しているというのに、旧弊を墨守する中国という印象を植え付けたいのか、66ページでは「綿々と二十世紀までほぼそのままの形で受け継がれていったのです。」とある。