丸山眞男の『「文明論之概略」を読む』を読む

文明論之概略を読む 上 (岩波新書 黄版 325)

文明論之概略を読む 上 (岩波新書 黄版 325)

「文明論之概略」を読む(中) (岩波新書)

「文明論之概略」を読む(中) (岩波新書)

文明論之概略を読む 下 (岩波新書 黄版 327)

文明論之概略を読む 下 (岩波新書 黄版 327)

 『文明論之概略』の解説である。
 ギゾー・バックルからの影響の分析等、直接原典を読んだ時には窺い知れなかった情報が入手出来たので、読まないよりは読んで良かったと思っている。
 しかし不満も大いにあった。
 特に、浅薄な知識しか持たない中国について知ったかぶりをし過ぎている事についてである。これは洋泉社新書『この思想家のどこを読むのか』にて加地伸行氏も、著者を同じくする『日本政治思想史研究』を分析して指摘していた傾向である。
 まず上巻143ページでは始皇帝焚書坑儒に関連して、「法家とは李斯といった、韓非子の流れを汲む思想です。」と書かれている。李斯は韓非子の弟子でも後継者でもなく、荀子の下で同門であった人物である。「流れを汲む」という表現からして、韓非子始皇帝や李斯と同時代の人物である事を知らず、しかも法家の祖であるとでも思っていたのだろう。
 同175ページ、「ある皇帝が王位継承法にもとづき、もしくは「禅譲」によって前皇帝から帝位を譲りうけると「正統」になるが、外から実力で奪いとった場合は「簒奪」になる。「王莽の簒奪」がその典型です。」とある。皇帝の地位が「王位」だったり「帝位」だったりする記述の一貫性の無さについてはさておく。ここでは、禅譲の形式を採っても簒奪と見做される場合が多々ある事を指摘しておきたい。そしてその典型例として王莽という男を挙げておきたい。
 中巻56ページには「春秋五国が戦国になると七国になります。」とある。実際には春秋から戦国にかけて原則として諸侯間の兼併が進み、有力諸侯の数が徐々に減っていった事は、普通に世界史を習った高校生なら誰でも知っている事である。
 おそらく著者は、「春秋五覇」と「戦国七雄」という二つの四字熟語を不完全に記憶していたのであろう。そして、かつて晋を形成していた韓・魏・趙の三国が諸侯として承認された年が一般に戦国時代の幕開けとされるという知識を辛うじて持っていたのであろう。ここから短絡的に5−1+3=7という幼稚な類推をしたものと思われる。五覇は七雄と違って互いに並存していた国家を指すものではなく、春秋時代の有力な君主を後世の人が五人選んだものであり、選者によって構成も異なる。
 同61ページ、「喪家の狗」の出典に『孔子家語』を引いている。これは虚偽ではないのだが、普通ならより標準的な典籍である『史記』をせめて併記するはずである。実際260ページでは「『史記』や『孔子家語』にある言葉で、」という記述が登場するのである。
 それにしても著者は何故斯様な嗤うべき過誤を犯し続けたのだろうか?
 これは私の仮説だが、著者は福沢のテクストを読み続けている内に、その猿真似をしたくなったのではなかろうか?
 福沢は、漢籍に習熟した上で尚且つ西洋政治思想も学んだ超人である。単なる開化主義者とは思想の深遠さがまるで違う。しかもその能力を見せびらかす傾向があった。中巻の175ページでも、そうした傾向を示す部分を「オレだってこのくらいは知ってるぞ、と儒教経典に一応通じていることを示した個所です。」と解説している。
 そうした文章を読み続けている間に、書き手の様に成りたいという願望が芽生え、遂には願望と現実との区別がつかなくなったものと思われる。
 現代の紙幣に例えるなら、偽壱万円札である。
 奇妙な記述は中国関連だけに止まらない。
 下巻161ページでは「長尾景虎が足利将軍義輝の「輝」の字を拝領して輝虎と改名したのは、」とある。実際には長尾景虎はまず上杉政虎となり、しかる後に上杉輝虎となったのである。
 ちなみに中巻177ページには以下の様な意義深い記述がある。
「だから、知ったかぶりをしていても、すぐばれるから、偽善者とちがって偽智者というのは出にくい。」
文明論之概略 (岩波文庫)

文明論之概略 (岩波文庫)

日本政治思想史研究

日本政治思想史研究

孔子家語 新釈漢文大系 (53)

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史記 1 本紀 上 新釈漢文大系 (38)

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