「コンビニからのエロ本撤去反対論」、ネットで読めるのはせいぜい「間接的に困る人の意見」まで(別館からの移転記事)

 「コンビニからのエロ本撤去」について、「自分は多様な反対論者の意見をかなり学んだ」と思っている人は、自称賛成論者にも自称反対論者にも多いだろう。

 しかし、その反対論者の意見が、せいぜい「間接的に困る人」の意見に限られていないか、今一度思い出してみて欲しい。

 例えば、「このように表現の自由が徐々に侵害されていくと、いつか本当に大事な表現まで潰されてしまう。そうすると政治的自由もなくなる」というタイプの反対論者の「困り事」とは、未来の別の表現についての悩みである。

 また「エロ本が規制されたら、欲望のはけ口の無くなった者が、性犯罪に走る」というタイプの反対論者の「困り事」とは、未来の治安である。

 コンビニ経営者・出版業界・漫画家の収入減も、やはり未来においてそうなるかもしれないという話題である。

 誤解の無いよう念のため言っておくと、こうした間接的な困り事を馬鹿にしている訳ではない。間接的に困っている人の意見だけ聞いて、直接的に困っている人の意見まで全部考慮した気分になる事が間違っていると言っているのである。

 もう一つ念のため言っておくと、直接的に困っている人の意見を何らかの理由で無視するという立場を否定している訳でもない。その存在を知った上で「そんな奴らの主張は考慮に値しない」と評価をすることは自由だ。

 散々焦らしてしまったが、ではその肝心の「直接的に困る人」とは誰か。本来なら言うまでもない事なのだが、何故か余り認識されてないから仕方なく言うのだが、それは「コンビニでエロ本を買いたい人」である。

 そしてそういう人の意見はネットでは基本的に読めない。

 何故なら、ネットが出来ると、エロ画像が無料で見放題だからである。

 たまに「紙媒体でなければイヤだ!」という人もいるだろうが、ネットができるなら通販で紙媒体を買うので、やはりコンビニからエロ本が撤去されてもそういう人達はほとんど困らないのである。

 「ネットの議論だけで社会を考えていると、ネトウヨやネトサヨになるから、気をつけろ。新聞や本を読め。」という警句が飛び回って久しいが、実は新聞や雑誌や書籍の情報はどんどんネットに流れ込んでくるので、これは気をつける程の事ではない。若しくは「気をつけ方がおかしい」というべきである。

 ネットの情報だけで「わかったつもり」になる事の一番の危険は、ネットができない集団について、その存在そのものを忘れ去ってしまう事である。