治安維持法の乱用に御注意

 本記事は特定秘密保護法案に関する論争を切っ掛けとして書かれたものであるが、今後も他の法案をめぐって起きる論争に参加しようとする人々に対しての助言の意味合いが強い一般論的なものである。今回の法案には賛成の側であった人も、他山の石にでもする程度の気分で御読み頂ければ、幸いである。
 法案の成立を防ぐ効果の強さという一点に絞って評価するならば、当該法案を過去に世の中を実際に悪くした法律に擬えるというのは、非常に優れた手法であると思われる。
 「治安維持法(「禁酒法」とかでも良い)が成立した時も、世間はこれを大事だと思わなかった。しかしその後は恣意的に運用されて酷い事になった。そして今日の状況はあの頃と似ている!」と言えば、当然ながら法案の賛同者や傍観者の一部は反対の側へと近付いて来る。
 だがこうした言説には、その法案が成立してしまった場合には、反対運動に共鳴した人々に過大な敗北感を与えるという副作用がある。自殺・亡命・転向までする人は少ないだろうが、それに似た精神作用をもたらすであろう。
 そして法案成立後も延々と治安維持法の話ばかりしていたのでは、その副作用は甚大になる一方である。
 法案成立後にも効果的な反対運動を続けたいならば、引用すべき過去は、法律の運用に歯止めをかけるのに成功した事例であろう。
 「破壊活動防止法が成立した時には、世間はこの世の終わりだと思い込んだものだ。しかしその後は運用への反対運動の盛り上がりにより、あのオウム真理教への適用すら阻止出来た。そして今日の状況はあの頃と似ている!」と言えば、当然ながら諦念していた敗北者の一部に再び活力を漲らせる事が出来る。
 勿論、上述の諸効果を勘案する手法を潔しとしない方がおられる事は存じている。
 例えば「自分は学者であって扇動屋ではない。仮にどんなに政治的効果が薄くても、最も似ていると判断した法律のみを過去の類例として延々と紹介していく!」という立場も、非常に尊敬に値する美しい生き方であると思う。