他の条件が同じなら、日本の民主主義への相対評価が高い人程、熱意の面でも能力の面でも、民主主義を護りやすいという話。

 「日本の民主主義を護りたい、あわよくば強化したい」と息巻いている人は、一般に日本の民主主義への相対評価が低い。

 この見かけの相関関係により、「日本の民主主義はX国より劣っているぞ!」と方便でもいいから言い触らせば、より民主主義擁護運動が盛んになると思い込んでいる人も多い。

 しかし「日本の民主主義を何とかしなければならない」という使命感と本当に因果関係があるのは、常識的に考えて日本の民主主義への絶対評価の低さのほうであろう。

 そして絶対評価が低いと相対評価も低くなりがちなので、見かけの相関が生じるというわけだ。

 むしろ絶対評価が同じ人同士ならば、日本の民主主義への相対評価が高い人程、民主主義を熱心に護りやすいだろう。

 なぜなら外国を低く評価している者ほど、「いざという時の逃げ場が少ない。逃げても大して幸福になれない」という背水の陣が敷かれた状態なので、仕方なく日本に留まって日本を改善していこうという気分になりやすいからである。

 また日本の民主主義の相対評価が低い人は、熱意だけでなく能力面でも問題がある。アメリカなどの大して手本にならない国でも「一応は日本よりマシなお手本になる」と思い込み、本当に先進的な民主主義を導入しようとしている真面目な活動家の足を引っ張りやすいからだ。(参照→https://gureneko.hatenadiary.org/entry/2019/09/25/084717

 つまり見かけの相関にだけ着目して「日本の民主主義はX国より劣っているぞ!」という方便の宣伝をしていた者は、本人の内心はともかく、実態としては日本の民主主義を弱体化していた事になる。