幸福実現党衰退の時期を見切った自分の判断は正しかった。

 幸福実現党が結成されたとき、マスコミがしっかりと監視をしてくれないのに候補者数が無視できないレベルの人数だったため、ボランティアで監視を始めた。基本的に実現党の総裁を筆頭とする有力者の言動の問題点を紹介していく形であった。

 母体である教団自体への批判者の一部とは、興味関心に多少のズレがあったものの、情報交換を通じて自然に緩やかな共闘関係が生じた。

 そして約一年前、もう実現党が有力になる可能性は潰えきったと判断し、勝利宣言のような記事(https://gureneko.hatenadiary.org/entry/20180623/1529747802)を書いて積極的な監視を終えた。

 無料で献本されたり無料で映画の招待券を貰ったらその回限りの感想を書く予定であったのだが、なんと自分が積極的な監視をやめた途端にそういう縁も消えた。しばしば郵便受けに勝手に放り込まれていた幸福の科学系の雑誌すら突然来なくなったのだ。

 これは偶然や神秘体験なんかではなく、幸福の科学に伝道の余力がなくなってきたのが原因であろうと思った。なのでますます自分の「見切り」の時期の適切さに自信を深めた。

 だから、今年の統一地方選幸福実現党の政治家が一気に増えたとき、「監視を再開してはどうですか?」と某友人に言われても、私は動かなかった。そして「次の参院選の比例票は、むしろ前回より減るでしょう」と予言をした。

 すると四割も減ってくれて、大いに面目も立った。

 票数の他にも注目したい傾向がある。

 今までは、同じゼロ議席といっても、選挙で票数自体が激減すると党首は一応の責任を取ってかなり素早く交代をしていた。有権者や協力者への詫びと、刷新のためであろう。

 だが今回は選挙から二週間以上経過しても、そうした動きがあまり見られないのである。総裁でも党首でもない序列三位以下に多少の動きがあっただけである。

 やはりもう教団側も本気で幸福実現党を伸ばそうとしていないのであろう。

 さらにもう一つ、自分のような個人が手を引くにふさわしいと感じた理由が、前述の実現党地方議会議員の名目上の増加である。

 これは前述の「某友人」の素直な発想とはちょうど逆の発想となるので、訝しく思われた読者も多いであろう。

 そこでより詳しく説明しておくと、名目上大きな権力を持つ政治団体ほど、マスコミが厳しく監視をしてくれるということである。

 国民からの支持がほぼ半減したのに、マスコミからの監視がおよそ倍増というのは、彼らにとって最悪に近い状況であろう。

 これは決して机上の空論ではない。実際に今回の参院選では、一部のメディアが実現党を「諸派」から独立させて扱ったのである。

 この独立について、多くのアンチ実現党が怒っていたが、私はむしろこの傾向こそ本当の意味で実現党への打撃になったと思っている。

 ゼロがゼロになる過程を、全国規模で晒し者にしたのであるから。そしてそれを通じて、地方議会に実現党員が増えた裏事情も、情報にかなり疎い者にまで伝えられたのであるから。

「サクラ大戦 帝劇宣伝部通信」第2回(7/25)

1.はじめに


「サクラ大戦 帝劇宣伝部通信」第2回(7/25)

 「サクラ大戦 帝劇宣伝部通信」第2回(7/25)の感想を書いていく。

 なお第1回の記事のリンクも貼っておく。

2.前回の宿題。ヒロインたちについて。

 前回記事ではヒロインたちへの思いについては公平を期すため宿題にさせてもらったので、本記事では動画にない部分も含めて、現時点での感想を一人ずつ語ってみる。

 なお人物たちの紹介順は、公式サイト*1に従った。

 ただし前回と同じく「平等」を理由に、キャラソンについては語らないでおく。これは次回以降への宿題となる。

※天宮さくら

 見た限りでは、ほぼあらゆる側面において先代である真宮寺さくらの系譜を継いでいるようである。正統の中の正統なので、無理に独自性を出さなくても自然にキャラが立つことであろう。

※東雲初穂

 東京を守るのが仕事の中心である帝国華撃団であるが、実は東京出身のメインキャラクターは彼女が初めてである。それも代々続く東雲神社の出という設定であるから、ひょっとしたら江戸に降魔が誕生した戦国時代から、先祖代々の因縁がある可能性がある。敢えて地元キャラを出したのであるから、そうした事情を描いて欲しいと期待している。

※望月あざみ

 忍者キャラというのは、ある地点までは容易にキャラが立つ一方、その後で他作品の類似キャラとの違いを出すのに難儀するものである。108の掟とお菓子好きという性格でどこまでキャラを立てられるかが課題となるであろう。

※アナスタシア=パルマ

 日本で「アナスタシア」と聞くとすぐにロシア人を想起するものである。そこをあえてギリシア人とした点でまず不意を突かれた。予算不足の華撃団がなぜ獲得できたか不思議な万能タイプらしいので、その秘密が徐々に明かされていく物語を楽しむことになるのであろう。

※クラリッサ=スノーフレイク

 何とルクセンブルク人である。取材のしやすさ、プレイヤーの親しみやすさ、という大人の事情のせいか、過去のシリーズに出てきた外国人はいずれも有名な強国の出身であったが、彼女の国籍の設定はそうした制約を乗り越える偉大な挑戦であると考える。また読書好きという有りがちな設定を、戦闘における特殊能力とも関連付けたのも、かなり面白い試みである。私が一番注目している人物である。

3.もう一点、前回の話題の続き

 15:10ごろから、今回の画風は3Dを視野に入れて考え抜かれたものであるという話題が出ていた。これは前回の私の予測が当たったことになるので、中々嬉しい。

4.最大の評価点 戦闘パート

 戦闘をターン制を廃してアクションにしたのは、思い切った試みである。そして見た限りでは成功の部類に入る内容だったと感じた。

 これは『サクラ大戦3』のオープニングにヒントを得て作られたものらしい。

 せっかくなので、旧作も全部この要領でリメイクするという逆輸入もいつかして欲しいものである。

 また没にしたターン制も、単に消すのではなく、戦闘シミュレーションなどの名目でミニゲームとして存在してくれていたらいいな~。

5.判断保留中 外国の華撃団のキャラデザについて

 異国情緒感をだすために、外国の華撃団のメンバーについては国ごとにキャラクターデザインの担当者を変えたらしい。

 これ自体は面白い試みであるが、まだすべての外国の華撃団のデザインを見ていないので、何ともいえない。下手をすると作品から統一感を奪いかねないからだ。

 また、メカニックデザインの思想性の違いこそ、上記の弊害なく異国情緒性を出せるものだと私は考える。こちらの担当者も国ごとに変えたというような話は聞けなかったが、いかがなものであろうか?

6.減点の可能性が高い要素

 10:29ごろ、「貴方がキャプテン・カミヤマかしら」というセリフが聞ける。

 軍隊で「キャプテン」といえば、海軍の大佐か、陸空軍の大尉を意味する。

 よって兵学校を卒業したばかりの神山少尉の英訳としては不適切である。

 文脈や世界観がまだ完全に明かされていないので、確実に減点とは断言できないが、おそらくは減点するであろう。

SEGA THE BEST サクラ大戦3 ~巴里は燃えているか~

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私と仏教の関係その2 科学的仏教理解の負の側面

  私は自分が神経科学と仏教の総合理解によって「三毒」をほぼ消し去った。残念ながら後述するようにある程度の三毒は残ったので、完全な悟りではないが、それでも過去の100倍は精神的に楽になった。

 このため、布教こそしなかったものの、他人から悩みを相談されたらいつも仏教の話ばかりしていた時期があった。

 だが後から弊害も多いと判明したので、最近ではかなり「取り扱い注意」をすることにしている。むしろ日常的な人付き合いにおいては「秘伝」にしてしまってすらいる。

 ここからは、私や、私の周囲で私を真似た者や、おそらく私と同じような形で心の平穏を得た者たちに起きた、または相当の確率で起きたと思われる、多くの弊害を書いていく。

 私の記事を参考にして短期的な修行で一気に負の感情を滅したいと思っている人は、以下の問題点もよく理解しておいてほしい。そして以下の弊害が避けにくいと感じたら、遠回りでも伝統仏教で地道に修行をすべきである。

1.他人の俗っぽい感情が理解できなくなる。

 人はしばしば己を物差しにして他人を計ってしまう。しかも「仏教を学んだ自分という善人は、悪人の進化系であり、昔の経験から悪人どものこともよーくわかっている!」と慢心しやすい。

 以下は私の経験である。

 皆から慕われるKさんを一人だけ妙に嫌っているLさんという人がいた(どちらもイニシャルではない)。

 私は、「LさんだけはKさんから酷い仕打ちを受けたのか、それともLさんの頭が完全におかしいか」という二つの仮説しか思い浮かばないまま、一年前の三月に彼らとの縁が切れた。

 その後、「MさんはNさんと目標が同じなのに能力が劣っているのでNさんに嫉妬している」という世間話を聞いているうちに、「ああ、そういえば人間どもには嫉妬心という感情があったんだったな」と思い出し、「Lさんもそうだったのかな?」という第三の仮説を思いついた。

 刹那の後、自分の発想と人間観察能力が如何に貧しくなっていたかに気づき、愕然としたものである。

 この傾向がもたらす弊害は多岐にわたりすぎ、また容易に想像がつくものであり、後述の内容とも被るので、これ以上はクドクドと語らない。

2.欲望のバランスが崩れ、食欲が突出する。

 「無我」を理知的に知ると、名誉欲や自己実現の欲はほぼ完全に消えるのだが、本能的な食欲は逆にほとんど消えない。

 「それでも逆に欲が増えたりはしないのだから「弊害」ではないのではないか?」と思われるかもしれないが、欲望のバランスが崩れるとやはり様々な弊害がもたらされる。

 食べ物を買う金にも困る人は、名誉欲が消えると、「武士は食わねど高楊枝」ができなくなり、より苦しむ。

 食べ物を買う金には困らない人は、名誉欲が消えると、ダイエットの動機が減り、どんどん太り健康を害し、成人病がもたらす様々な痛みを味わうことになる。そして「痛いのは厭だ」というのも本能なので、やはりgureneko仏教初期版ではほぼ消せないのである。

 理知を元に様々な欲を消したが食欲だけには苦しんだという事例としては、ギリシアにもディオゲネスという先例があるが、gureneko仏教初期版をやるとまさにああなるのである。

 そういう意味で、理論学習の前にまずは理屈抜きで食欲を抑える訓練をさせた、伝統仏教の「律」という制度は実に素晴らしい。

3.方便を馬鹿にするようになる。

 たとえノイズ塗れであってっも東アジア全体に仏教が広まるよう、多くの先達が、欲深い人でもつい仏教を広めたくなるよう、権力者が仏教を弾圧したくなくなるように、異文化にも理解されるように、多くの方便を作ってきた。

 そのおかげで仏教的発想が日本人の血肉となり、故に「ストン」と最新の脳神経科学の成果を過去の様々な具体例まで合わせて理解できるわけだ。

 それなのにいったん科学に目覚めた途端、仏教の方便的な部分を全部馬鹿にする者が多い。

 あたかも、暗号だからこそ関所を通過できた密書の解読に一時間かかった者が「暗号でなければ一時間早く解読できたのに」と不満を鳴らすようなものである。

4.アドバイスのバリエーションが減る。

 人が苦しみから救われる手段は様々ある。

 「「我」は確固として存在し、死後は神に救われる」と信じることで平均的な仏教徒以上の心の平穏を得ている人もいれば、『芋粥』の五位のように欲望を一度満たすことでその欲望のつまらなさを理解できる人もいる。

 それなのに、困っている人に対していつも同じアドバイス「自己が幻想だと気づけ」ばかり語るようになってしまうと、周囲から見て「困った」人になる。

羅生門・鼻・芋粥・偸盗 (岩波文庫)

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私と仏教の関係その1 負の感情がほぼ消えるまで

1.はじめに

  今書かないと永久に書かないまま終わってしまいそうな話題なので、推敲もせず思いつくままひたすら書いてみる。誤記その他はいつも以上にあると思うが、お許し願いたい。

 テーマは私と仏教の関係である。

 私は(多分)後述する様に、仏教にヒントを得たおかげで、数年前に諸々の負の感情がほぼ消えた。

 仏教そのものを実践したとは思っていないし、負の感情は「ほぼ」消えただけで多少は残っている。なので「仏道修行をしたおかげで」とは書かない。書いたら真面目に原理主義的に修行をしている僧に失礼だ。

 しかしまた仏教の知識のおかげでこの状態に来たので、あたかも独力で悟ったかの如く振舞ったのでは、釈迦に対して失礼となる。

 だからこういう表現となった。

2.無明時代、「怒り」が問題意識の最大点だった

 未成年のころ、私には様々な負の感情があり苦しんだが、「怒り」がその中で最大のものであった。

 他人と比べたわけではないし正確には比べられないので、ひょっとしたら世界の平均よりは怒らない子だったのかもしれないし、逆に嫉妬心などの別の負の感情も平均を超えていた可能性はある。

 だが自分にとって最大の問題は「怒り」による苦痛であり、それが他人と比べてどうであるかは問題外だった。

 これさえ半分にできるなら、他の負の感情が全部倍になってもいいぐらいだった。

 そういうわけで、怒りを消す技術という噂のあった仏教に興味を抱いた。

3.最初は意味不明だった

 とりあえず怒らない人を「仏様みたいだ」と表現する風潮は知っていたし、そういう高僧を何人も直接目撃したり間接的に評判を聞いたりしたので、仏教と「怒らない」の間には、何らかの強い相関関係がありそうだとは思った。

 しかし仏道修行をしたから仏みたいになったのか、仏みたいな人だったから仏道修行に耐えられたのか、そこらへんの因果関係はさっぱりわからなかった。

 そして人間の感覚を細かく分類してみせたりすることに、宗教として何の意味があるのかも、当時はまったくわからなかった。実はこの部分こそが後に最大のヒントとなるのだが…。

 しかしとりあえず学び続けた。仮に何の効果も無かったとしても、教養としての意味はあり、東アジアの思想史や文学史を学ぶ際に多少は役立つだろうとも思ったからだ。

4.犬と台風と自由意志

 仏教とは別個に、「怒り」についても考え続けた。

 ある日、私を含めた多くの人が、自分に被害を与えてきた他人に対して怒ることはあっても、それ以上の被害を与えてきた台風に対しては同じように怒ったりはしないということに気づいた。

 そして犬などに対しては、人間と台風の中間的評価になりやすい。

 怒りが収まらない人に対して、「犬にかまれたと思って忘れろ」という決まり文句による助言があることも知った。

 なぜそういう不平等が起こるのかといえば、おそらく「自由意志」を想定するからなのであろう。

 台風が人を殺したら自然現象なのに、人が人を殺すと不自然だという錯覚が、人を怒らせるのだろう。

 だが人もまた物質であり、脳内の物質の何らかの作用の結果として全身が動き、他者を殺すのであるから、結局は殺人行為とて自然界の物質が織りなす自然現象なのである。

 それを完璧には理解できていないから、人は台風を免罪して他人を断罪するという不平等を犯すのだろう。そして実のところ半ば理解しているからこそ、犬を無理に人か台風のどちらか一方に分類せず、中間的な対応をするという誤魔化しをするのだろう。

 そう気づいた。

5.神経科学との出会いで完結

 そして神経科学に出会った。

 様々な実験から、人の「意識」なんていうものはある意味では幻想であり、様々な感覚の相互作用により瞬間ごとに現れるものにすぎない、ということが判明していると知った。

 このとき理解した。

 仏教がなぜ人の感覚をあんなにも細かく分類していたのかを。

 「アートマンなどというものは無い」という主張とそれがどう関係しているのかを。

 そしてそれを学ぶとなぜ怒らない人になれるのかを。

 他者とは台風のような自然現象であり、台風を捨て置いて他者に怒りを持つことが、如何に馬鹿馬鹿しいのかを。

 自分が「自己」と思っているものも、瞬間だけの幻想であり、さして大切なものではないということを。

 悟った人に利他的な人が多い傾向の理由も。

 「コギト エルゴ スム」に、未来形バージョンや過去形バージョンが無い理由も。

6.梵天は来なかった

 この体験を大々的に発表しようかと思ったが、調べてみると似たようなことを言っている人が、大勢いた。

 しかも仏教界にも科学界にもだ。

 しかも増え続けている。

 最近の例として一つだけリンクを貼っておく。

 だから、仏教も科学も素人の分際で、苦労して新興宗教を作って大々的に教えを広めようという気にはならなかった。

7.ではなぜこんな文を書いたのか

 世の中には、仏教と神経科学が融合しつつあるというこの大規模な思想上の変動を知らないのに、この記事には偶然出会ったという奇特な人物が、百人ぐらいはいるかもしれない。

 その中には、負の感情で苦しんでいる人が十人ぐらいいるかもしれない。

 その中には、この記事をきっかけにそうした感情から抜け出せる人が一人ぐらいいるかもしれない。

 まずはその約一人のために書いた。

 そしてもう一つ、実はこちらのほうが重要なのだが、私の様に中途半端に悟った人物ならではの注意点というものがある。なので同類様や未来の同類様への警鐘のための、壮大な前書きという意味もある。

 その注意点については本記事の「その2」で書く予定である。それを書くのがいつになるかは不明であるし、結局は書かないかもしれない。

サクラ大戦 帝劇宣伝部通信(6/26)

1.総論

 『サクラ大戦』シリーズは、西暦1996年に初代が発売されて以降、絶大な人気を誇りつつもそれに安住しない野心的な続編を次々に発売していったシリーズである。

 ところが何らかの事情により2005年の『V』を最後に正式な続編は作られなくなり、既存の作品のリメイクや機種移植や外伝や派生作品ばかりが発売されるようになった。そうした「準ブランク」とでもいう時期が10年以上続き、シリーズ本編の歴史の長さを越えてしまった。

 そうした中、やっとのことで『新サクラ大戦』が2019年冬に発売予定との情報が入ってきた。

 当初は疑う声も大きかったが、開発情報が小出しにされ続けるたびに、「これだけ費用を注ぎ込んだらもう引き返さないだろう」と考える人が徐々に増えていった。

 そして6月26日に、「サクラ大戦 帝劇宣伝部通信」が100分級の動画を公開した。

 これでもう疑う声はほとんどなくなった事であろう。

 本日はこの動画の感想を以下の四つの観点から書く。

2.最大の着目点

 「サクラ大戦といえば、ヒロインたち!」と言いたい所だが、今回は保留案件とする。

 これは決して天邪鬼根性ではなく公平性のためである。

 ヒロインたちの設定画は動画の32~38分辺りで全員が公開されたのだが、動画後半の実機体験部分では、その一部のみが声と身動きを披露してくれたので、今彼女たちについての感想を書くと不平等になってしまいかねないのである。

 今私が一番着目しているのは49分40秒あたりから紹介される「司馬令士」である。

 技師長として整備の責任を負っているのと同時に海軍機関学校の主席で、兵学校主席の主人公神山誠十郎の昔からの友人という設定らしい。つまり過去作における中島親方と加山雄一のポジションの後継者的存在である。

 しかし加山はあくまで兵学校次席であり、海軍におけるハンモックナンバーの影響力の強さの印象から主人公大神一郎の地位を脅かす存在という印象を持たれにくく、「組織の内側にいるライバル」という立ち位置はシリーズでは長らく不在であった。またある年度の兵学校の卒業生の上位二名という貴重な人材を、海軍が艦隊勤務以外の立場へと同時に手放すという設定も、リアリティの上で問題があった。

 今回実際にライバル的存在となるかは未知数であるが、その余地を作っただけでも、高く評価したいと思う。

 また初代のゲーム中では大神が卒業したのは「士官学校」とされるだけで、その中でも兵学校であると明言されたのはOVA『轟華絢爛』第五話を待たなければならなかったのである*1

 なので兵学校と機関学校の両方を設定の背景に使ったという点で、スタッフの海軍に関する知識に長足の進歩が窺える。そしてその知識がより優れた設定を作ったのであるから、「知は力なり」と感じた。

3.減点する予定が減点しなかった側面

 新しい絵柄については、過去作への思い入れから、発表当初は受け入れられなかった。

 ところが立体化された映像を見ると、急に何の違和感も無くなったのである。

 たまたまこの時期に私が「慣れた」からなのかもしれないが、あるいは立体化を見据えて計算された絵柄の変更だったのかもしれない。

4.最大の減点部位

 46分30秒あたりから、総司令の秘書である竜胆カオルの動画が登場していたのだが、体を妙にグラグラ・ユラユラ・クネクネ・ウネウネとさせていた。

 「立体化した人物をこんなにも自然に動かせるんだぞ!」という技術陣の意気込みが伝わってくるようであった。

 しかしここでは勤務の一環として初対面の主人公に真面目な自己紹介をした直後なのであるから、むしろまるで古臭いアニメのように無駄な身動きがないほうが、社会的には自然体なのである。

 これは発売までに修正して欲しいと思う。

サクラ大戦 特別限定版

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サクラ大戦V ~さらば愛しき人よ~ 通常版

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西暦2019年版『どろろ』が描いたもの

 西暦2019年、突如としておよそ半世紀ぶりに『どろろ』がアニメ化された。

 これが昨晩完結したので、その感想などを書いておく。

 原作では悪役として自分の利益のために息子の体の大半を鬼神に捧げた醍醐景光であったが、本作ではこの契約の見返りが民の利益に改変されていた。そして実際に彼の領地は豊かになり、領民にも慕われる存在となっていた。

 「身勝手な民衆」が登場する点では原作と同じである。しかし彼らは、原作では自分が助けられても百鬼丸を異形の存在として排斥するという意味での「身勝手」な役だったのが、幾ばくかの罪悪感を持ちつつも百鬼丸が自分たちの利益のために鬼神の犠牲になればいいと考える意味での「身勝手」な役へと変更されていた。

 原作至上主義者からの支持という目先の利益を捨ててまで、一体なぜこのような改変を行ったのかについて考えた。

 原作の影響力を弱めたという消極的な理由としては、原作の連載当時のメッセージの意味が弱まったということもあろう。「米ソとその手先である小権力者に利用されている世界の民衆よ、立ち上がれ!」という時代ではなくなってきたということがある。

 新作で独自設定を作った積極的な理由としては、「サバイバルロッタリー」(臓器籤)の問題が現実化してきたことが挙げられよう。

 移植技術の向上により、「運の悪い一人に死んでもらって、臓器移植をして一人以上を救うべきか?」という問題が、単なる思考実験ではなくなってきた。世界中で臓器移植をしやすくするために「死」の定義を緩める傾向が高まってきている。

 50年前の世界では、民主的な国は少なく、数少ない「民主的な国」も今ほどは民主的ではなかった。また臓器移植も珍しかった。

 そんな世界で、身勝手な権力者に体の器官を奪われた者がそれを取り戻そうと努力する姿勢には絶対の正義があった。

 しかし今日の世界では、民主的に作られ民衆の切なる願いによって支持されている民主的権力が、運の悪い者から臓器を取り上げてより多くの人を救うようになった。

 この現代において、民衆を不幸にしてでも自分一個の肉体の完全性を取り戻そうとする百鬼丸は、果たして正義なのか。

 それを視聴者に考えさせる作品になっていた。

 この改変の善悪を評価する事は困難であるが、医者でもあり『ブラックジャック』で医療倫理の問題を考察し続けた手塚治虫に対しては、おそらく「善」であり、仮に「悪」だとしても「小悪」程度であると、私は信じる。

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