湯河原・小田原旅行記

 温泉旅行に行ってきたので、記録や旅の途中の思索等を書き連ねようと思います。
 まずは品川名物品川蕎麦で腹ごしらえ。

と言っても駅の中のチェーンの蕎麦屋なので、店員は品川蕎麦の事なんて何も知りません。同じ具をうどんにも乗せられる制度になっていたので、それは本来の品川蕎麦にも有り得る事なのか、そして通人でそれを行うものがいるのか、等を聞こうとしたのですが、まるで要領を得ませんでした。
 品川駅から東海道本線に乗り換え。折角なのでグリーン車に乗ろうとしたのですが、プラットホームでのグリーン券の販売は電子マネーでしか出来ないようだったので、仕方なく普通車に乗りました。
 いつもながら相模湾が綺麗でした。真っ蒼な空と真っ蒼な海。つい途中下車して海に向かって駆け出したい誘惑に駆られます。
 やがて列車は目的地の湯河原駅に着きました。下の写真は、土肥実平夫婦の像です。

 像の下の解説文には「公の夫人は民や農民に姿を変えて敵を欺き、」という部分があったのですが、農民は民ではないのでしょうか?
 旅館に着いた後は、一休みする間も無くすぐに温泉です。思いっきり足を伸ばせてゆったり夢心地です。そしてのぼせたら自室に戻って休む。これを夕食までに二〜三回繰り返しました。標高が高くしかも緑でいっぱいの場所にある旅館なので、窓を開けているだけで非常に涼しいのです。下の写真は窓から見た風景です。

 そして夕食の料理は、見栄えも味も給仕も一流です。普段嫌いなものまでつい食べてしまうほど。

 食後もまた延々と温泉と自室とを往復。何故か虫が入ってこないのも嬉しかったです。それにしても一晩中大量のお湯が流れっ放しなのですから、贅沢な話です。もし自宅で再現したら、一晩の水道代とガス代と温泉の素代だけで、旅費を上回ってしまうかもしれません。
 そして翌朝、朝食の後にまた一風呂。
 
 旅館で風呂にばっかり入っている内に、色々な事を考えました。
 温泉旅館では入浴中に皆平等に裸であるのみならず、入浴後もまた平等に浴衣を着ますが、これは日頃の社会的地位からの解放を意味します。こうした期間や場所があるのは、世俗の価値を外から見つめ直すのに適しています。
 これは単なる思いつきですが、日本でヌーディズムの勢いが弱いのは、既に温泉文化が存在しているために別個にそれを必要と感じる人の数が少ないからなのかもしれません。
 ただやはり反面の欠点として、社会的存在でなくなるからこその、普段隠れているマナーや肉体の状態に基く差別が表面に出てきやすくもなります。外国人や特定の病気の経験者への入浴拒否等が、その一例です。
 
 湯河原見物をした後、ついでなので小田原見物も。
 小田原駅から歩いて小田原城に行きました。小田原城では象や猿を飼っていました。猿は秀吉への報復でしょうか?ガラス工房もありましたが、もっと素晴らしいものを全国各地で見ているので、あまり興味が沸かなかったというのが正直なところです。歴史館はそれなりに勉強になりました。
 ここにいるうちに、猛烈な夕立が襲ってきました。外に出たら大雨だったのです。しかも傘がありません。来た道をそのまま帰ると途中でコンビニもないと判っていたので、遠回りになると知りつつコンビニ傘を求めて反対側の出口に賭けてみました。
 我が命運もこれまでかと思われたその時、城のタクシー乗り場を発見!これぞ天佑神助!駅まで濡れずに帰れましたし、邪魔な傘も買わずに済みました。
 
 夕刻、大井町に到着。
 軽く夕食を摂った後、友人も参加している雅楽道友会の記念演奏会(http://www.gagaku.com/ensou/index.html)に行き、荘重な調を楽しみました。
 ちょっと残念だったのは、SD−2X(Xは伏せ数字)席に座っていた親子が騒いでいた事です。演奏中なのに子供が声を出すと、父親は怒るどころかニコニコ笑って会話を開始するのです。実に迷惑でした。
 こういう馬鹿親子がいるから、未就学児の来場を一律で禁止する公演が増えるのです。真っ当な躾を受けた幼児から優れた文化に接する機会を奪いたくないものです。非常識な親は、自分の子供を教育しないだけでなく、日本の全ての子供達の情操教育を間接的に阻害しているのです。