少しはロマンも必要だと思った瞬間

 戦争にも反戦にも美学があり、少なくない数の人たちが、そのどちらか一方を非常に大切にしている。
 私は、時として彼等に尊敬の念を抱きつつも、彼等のどちらか一方だけが台頭する事を酷く怖れていた。出来れば互いに潰し合って欲しいとすら思っていた。
 反戦も戦争もそれ自体は私に何らの精神的幸福をもたらさないのだから、国益になる戦争ならやって欲しいものだし、ならないのならやらないで欲しいものだと思っていた。
 しかしある日、自分に意地悪な思考実験を行ってみて、少しだけ考えが変わった。以下はその再現である。
問「ではもしも、戦った場合と戦わなかった場合とで、君にとっても国家にとっても予測される損害が完全に同じだった場合、どちらを支持するのかね?」
答「棄権する(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20080414/1208110709)。」
問「ではもしも、君がその決定をする会議の議長で、賛否同数のため議長判断を求められたらどうするのかね?」
 答え様がなかった。私は本当にどちらでも良いのだ。かといって、こっそりコイン占いをする程の決心もつかない。立ち往生である。
 そしてこの時、最後の最後で頼るべきロマンも少しは必要だなと思い直したのである。
 そして副産物として、議長という立場の余り知られてない恐ろしさも再認識できた。
 普段は公正中立を心掛けるなり、心掛けているふりをするなりしていれば良いのだが、いざという時、最も偏頗な行動に出なければならないのである。
 鈴木貫太郎首相は、降伏か否かの会議で賛否同数の際に、決断を天皇に仰いだ。これにより、首相が歴史に残した足跡は随分小さくなってしまった。しかしながら、自分の一声で日本史がまるで変わってしまうという岐路において平気で決断を下せる人物は、そう多くはないだろう。