濤川栄太著『戦後教科書から消された人々2』(ごま書房1997)

戦後教科書から消された人々〈2〉

戦後教科書から消された人々〈2〉

評価 知識1 論理1 品性1 文章力1 独創性1 個人的共感1
 題名が内容と一致していない事を著者が21ページで素直に認めている。これは前作と比較しての改善点として認めても良い。欲を言えば、ほんの少し売れ行きが減るという犠牲を覚悟して題名自体を改正するだけの勇気も持って欲しかった。話は変わるがこの本の表紙には、「勇気・犠牲心・誇り・信義…を失った日本人は滅びるしかない」と書かれている。
 逆に改悪点としては、前作を上回る大量の俗説、それもかなり古典的なものが、真実として書かれている事が挙げられる。
 ただ、そうした細かな違いはあるものの、全体を通じての姿勢は前作とほとんど同じである。基本的に戦前の低年齢者向けの教科書を引用するとともに、しばしば出典を明記せずに現在流通している歴史教科書の内の一冊を選んで引用し、学年の違い等を無視して比較の真似事を行うというものである。主張も大体同じであるし、文章力の低さも相変わらずである。
 以下、特に酷い間違いのみを厳選して列挙する。
 12ページ、堯舜が五帝の構成員ではなく、五帝の後に登場した事になっている。これは前作の38ページの間違いを継承しているが、「尭」が「堯」になる等、微妙な変更点もある。またその直前には「『史記』でも中国の祖を三皇五帝と書いている」とあるが、これも史記の歴史を少し調べれば、かなりの勇み足である事が判るであろう。司馬遷史記を五帝から書き始めており、史記に無理矢理三皇が補足されたのは唐代になってからなのである。
 28ページ、「本文中の戦前教科書の引用、および図版」の収録元の中に、戦後の教科書であるはずの『くにのあゆみ』の復刻版が含まれている。
 32ページ、「義経・弁慶の活躍した時代は戦国から鎌倉時代にかけてである。」とある。これこそ通史を学ばず出処の怪しいエピソードばかり修めてきた人間の行き着く先である。著者の提言を真に受けると、多くの子供達がこういう大人に育つ恐れがある。
 37ページ、「弁慶は当時の日本で最高の教養人、学問人、武芸家、人格者、そして義経のスポークスマンであったと思われる。ナチスでいうなら、ゲッペルス的な存在だ。」とある。ヒトラー政権の宣伝相は日本語では「ゲッベルス」と表記されるのが普通であるし、彼が武芸者だったという話も聞かないが、そうした事はさておく。私が問題にしたいのは、この主張の根拠が「わたしの見るところ」としか書いていない点である。
 40ページ、明智光秀が武田討伐の祝宴で織田信長に失言を咎められたため本能寺の変を起こしたという俗説を採用している。その程度の事は敢えてもう批判しない。より問題なのは、その祝宴が天目山の合戦ではなく長篠の合戦の戦勝祝いになっている事である。
 41ページ、「光秀は蘭丸の父・森可成(よしなり)がおさめていた亀山城を授けられ、善政をしいていた。」とある。亀山城は光秀が丹波攻略のために築いた城である。可成が城主を務め、後に光秀の領地に組み込まれた城は、宇佐山城である。
 67ページ、テレビの時代劇『水戸黄門』の主人公の仮の姿が、「越後の回船問屋のご隠居」になっている。正しくは「越後のちりめん問屋の隠居」である。
 105ページ、水戸光圀を「正義や大義名分を重んじた将軍」と呼んでいるが、俗説を信じたとしても光圀は副将軍止まりである。
 110ページ、「この朱舜水は、近松門左衛門の大ヒット作『国姓爺合戦』の主人公のモデルともなった人物だ。」とある。一般に国姓爺合戦の主人公のモデルは鄭成功と言われている。大胆な異説を唱えるのは自由だが、通説も併記せず根拠も書かないというのはよろしくない。
 112ページ、支倉常長の生きた時代が「十六世紀初頭」になっている。
 126ページからの上杉鷹山の章では、様々な産業を興した改革の話は一切行わず、倹約の話ばかりしている。鷹山については、引用されている戦前の教科書の文中にすら産業の話が書かれているのだが、著者にかかると「とにかく節約、けちけち作戦で藩をふっこうしようとし」ただけの「倹約の第一人者」へと矮小化されてしまうのである。
 146ページ、「関孝和は、現在だったら、まずノーベル賞をもらってもおかしくないほどの業績を残したのである。」とある。なお現在、ノーベル数学賞というものは存在しない。
 161ページ、道鏡は「法王の地位を授けられたがそれに満足せず、偽りの詔によって皇室の座まで我がものにしようとたくらんだのだ。」とある。この文の意味は解り難い。「皇室の座まで我がものにする」というのは、皇族の一員に成りたがったという事だろうか?「偽りの」という言葉からは、有名な宇佐八幡宮の神託の真偽の話題を連想させられるが、「偽りの詔」とある以上は別物の様である。当時有名な偽詔事件が無かったことから察するに、「たくらんだだけで実行はされず、証拠は無いものの前後の状況から著者がそのたくらみを見抜いた。」という意味なのかもしれない。
 188ページ、「南無妙法蓮華経などのお経」という表現が登場する。「妙法蓮華経」は御経だが、「南無妙法蓮華経」は題目である。
 211ページ、「卑弥呼が死んだときに殉死したのはみな女性。男の殉死希望もあったようだが許されなかったのだ。」とある。これは俗説としてすら聞いた事が無い。そもそも所謂魏志倭人伝には「徇葬者奴婢百餘人」とある。「奴」は男性奴隷であり、「婢」は女性奴隷である。
 286ページ、「まずレーダーで完全に負けている。そして皮肉にもアメリカのレーダーは「八木アンテナ」。メイド・イン・ジャパンだ。横文字に弱い日本は、ここでもアメリカに出しぬかれている。」とある。アメリカがレーダー技術で日本人の発明を利用したのは事実だが、日本製レーダーを輸入して使用していたわけではない。またこの問題と横文字の弱さとの関連が不明確である。
 同ページ、「そして陸軍中将西郷従道陸軍大臣になる。」とある。これは文脈上、「明治八年」から「明治二十二年」の間に起きた事になっている。どうやら「陸軍大臣」は「海軍大臣」の間違いの様である。
 288ページ、「そして日本軍のおごりか。ミッドウェー海戦はよく「五分間の敗北」といわれる。1日本軍のおごり2アメリカ軍への過小評価3無根拠のものに仮説をたてた4たとえばアメリカのパイロットの能力は日本の六分の一とか5ゆるみ6その証拠に日本の軍人の多くが「今度ミッドウェーに行くからね。」と親などに手紙を書いている。そこには決戦目前の緊張感はない。油断の証拠。」(機種依存数字を普通の数字にした――引用者)とある。4は3の一例であり、6は5の証拠である。一体この1〜6は何を並列しているのだろうか?
 同ページ、真珠湾攻撃の直後にミスを犯した南雲忠一山本五十六が庇ってしまった事を批判し、「かわりはいた。栗田中将、豊田中将といた。しかし五十六は南雲を切れない。そしてミッドウェーにはまた南雲が出て行く。」と続けている。だが豊田副武は実際には真珠湾攻撃以前に大将に昇進している。