濤川栄太著『戦後教科書から消された人々』(ごま書房・1996)

戦後教科書から消された人々―孝養・忠義・勤勉・節約・我慢……が、なぜ誰によって否定されたか

戦後教科書から消された人々―孝養・忠義・勤勉・節約・我慢……が、なぜ誰によって否定されたか

評価 知識1 論理1 品性1 文章力1 独創性1 個人的共感1
 御大層な題名だが、目次を読み始めると直ぐに仁徳天皇聖徳太子等の戦後の歴史教科書にも登場する人物の名前が登場する。つまり単に事績が簡略化されただけの人物も「消された人々」の内に含められているのである。随分な羊頭狗肉だが、実はこれはまだ問題点としては序ノ口とすら言えるのである。
 次にプロローグが始まる。要旨を紹介すると、戦後日本の道徳的頽廃の原因は、教育勅語が廃止された事や道徳教育が不完全である事よりも、戦後歴史教科書にあるというものである。そしてその内容の問題点の黒幕のほとんどがGHQと左翼であるらしい。
 本書の全体を貫く主張は、歴史教科書は暗記教育のために年代等を列挙するのではなく、人物本位のエピソード主義で徳目を教えよというものである。
 ところが本文で紹介・引用される戦前の文章の出典には、歴史の教科書だけでなく修身の教科書もかなり含まれているのである。11ページによると、引用対象は『尋常小学校修身書』・『尋常小学国史』・『初等科国史』の三文献である。主たる批判対象が「小・中・高の歴史の授業(17ページ)」でありながら、対抗馬が初等教育の歴史・修身の教科書であるというのはおかしい。論点を小学校での歴史教育のあり方に絞っていればそれなりに魅力的な代案であったかもしれないが、中高校生にもなって通史をしっかり押さえないというのは非常識である。
 実際59ページではプロローグよりかなりトーンダウンして、「教科書にすべて盛り込めないのなら、副読本を読ませればいい。」と、著者自身が妥協案を出している。それは歴史小説でもマンガでも新作歌舞伎でもアニメーションでも良いらしい。しかしそういったものならば現在既に戦前より遥かに豊富且つ安価に流通しており、学校教育を変える必要はない。こうした現状は、学校の歴史教育機械的な暗記教育に徹すべきという主張の論拠に使えそうな程である。
 次の問題点は、実際に現代の小・中・高の歴史教科書を調査した形跡がほとんど見当たらない事である。
 例えば98ページから始まる菅原道真の章では、道真が遣唐使を廃止したとして称揚した上で、その功績が今の歴史教科書に記述されていないと主張してある。かなり不真面目な学生時代を送った者でも、現代の歴史教科書に遣唐使廃止における道真の功績が書かれていないというのが明白な嘘である事を指摘出来るだろう。
 またこの件に限らずしばしば引き合いに出される「現在の日本史教科書」とやらも、小・中・高のどの段階で使用されている何社の教科書なのかが書かれていない。
 こうして見ていくと、著者が実際には現代の歴史教科書の中身をほとんど知らない事が判るであろう。それでも付け焼刃の知識で無理に歴史教科書批判に拘泥したのは、おそらく当時思想界で活発であった歴史教育問題の議論の風潮の波に乗ろうとしたからではあるまいか?一時的な売れ行きを期待せず、現代の教科書では強調される事の少ない歴史上の人物の美談を誠実に紹介するという形式を採っていたならば、もう少しまともな本に仕上がっていたかもしれない。
 また著者は、視野も発想も狭い。
 一例を挙げると、106ページからの平敦盛の章では、敦盛の悲劇的最期が歴史教科書で語られていないとして批判している。それは確かに事実であるが、そもそも『平家物語』における敦盛の最期を紹介するのは、国語の教科書の役目ではあるまいか?そして現在、中高生向けの数多くの国語の教科書が、実際に敦盛の最期を紹介している。
 この様に視野が狭い人間だから、例えば神話を歴史教科書に載せられないのなら『古事記』を古文の時間に教えれば良いといった柔軟な発想が湧かなかったのであろう。
 しかも怖ろしい事に、著者は歴史の知識すらもないのである。以下、特に酷い間違いのみを一部紹介する。
 まず前述の菅原道真に関してだが、道真は遣唐使を廃止したのではなく、遣唐使廃止の建議をしただけである。
 38ページには「伝説時代の尭・舜・禹、あるいはそれ以前の三皇五帝の神話時代」という記述がある。だが尭舜は一般に五帝の構成員である。
 112ページのマレー沖海戦の記述では、「日本の艦船から飛び立った飛行隊」の「砲撃」の結果、プリンス=オブ=ウェールズが沈んだ事になっている。なお実際にプリンス=オブ=ウェールズを沈めたのは、飛行場から離陸した航空隊の爆撃と雷撃である。
 143ページでは「教育勅語にも言う。」として、「君に忠、国家には愛国心、親には孝、夫婦相和し、朋友相信じ、友だちは友情をもって」という引用とも意訳ともつかぬ奇妙な文が紹介される。不正確な上に、友人関係の話が重複している。
 179ページでは文室綿麻呂による平定後の蝦夷経営の方針を紹介した後、「このあと、蝦夷の反乱はしばらく途絶え、室町時代アイヌの首領・コシャマインの反乱、江戸時代のシャクシャインの反乱以外に、歴史に登場しないのである。」と言い切っている。どうやら鎌倉時代蝦夷大乱や江戸時代のヘナウケの蜂起及びクナシリ・メナシの戦いを知らない様である。
 190ページ、西暦1271年当時のモンゴル帝国の解説で、「あの大中華帝国を征服し、」という記述が登場する。当時のモンゴルは金帝国を滅ぼす事には成功していたが、南宋帝国を滅ぼすには至っていない。果たしてこれで大中華帝国を征服したと言えるだろうか?
 そして極めつけに、著者には論理も欠如している。
 例えば、88ページでは律令の精神は大日本帝国憲法の廃止まで続いた事になっているのだが、90ページではそれが現代まで続いている事になっている。
 また19ページ、中国の歴史教科書の「日本侵略軍は常に殺人を楽しんだ」だの「日本軍の南京での大虐殺中に、殺害された中国人民は合わせて三十万人に達した」だのといった記述を紹介した上で、「これは、虚偽記述であろう。」と評価している。しかし著者が「その証拠」として挙げているものは、その教科書が朝鮮戦争について「アメリカを侵略国と記述している。」というものである。ある書籍の一部が間違っている事が別の箇所の記述が間違いである証拠になるという論法が正しいのであれば、本書の記述の全てを嘘と見做せる事になってしまう。
 余談だが、この19ページは段落の分け方もおかしい。第一段落で中国の教科書の記述を批判し、第二段落の頭では前述の「その証拠」について語り、そのまま段落を変えずにアメリカの戦争犯罪の話を開始している。
 著者は後に「新しい歴史教科書をつくる会」を立ち上げて一時的に副会長にまで上りつめるが、かなり早い段階で他の理事と衝突して退会している。著者が歴史教育問題の一線から退いた事は、同会にとっても日本にとっても幸いであったと思われる。