久々にザミャーチンの『われら』を再読した。この作品は徹底的な管理社会を描いており、一般にディストピア小説に分類されている。
しかし本日私の中で、北朝鮮の貧困層は本作品にどの様な感想を抱くだろうかという思考実験が自然に始まった。そしておそらく彼等の多くはせめて『われら』の世界に行きたいと感じるのではなかろうかと思った。作品世界には自由は無いが富はある。
思考実験は更に進んだ。ユートピア型ディストピアとでも言うべき『われら』や『すばらしい新世界』どころか、直球型のディストピア小説である『1984年』ですら、「現状よりマシだ。」と感じる人が世界には少なからずいるのではないかと思ったのである。
ある小説を「ディストピア小説だ。」と分類出来る人は、その分だけ幸福なのである。
私は「自由の過度な尊重は、所詮ブルジョア道徳に過ぎない。」という単純な話をしたいのではない。今日の思考実験にはまだ続きがある。
今度は、「いや、私はどんなに貧しくなっても、富より自由を選ぶ!」と言う人について考えてみた。
こういう人は、実は才能や教育によって自由をより楽しめる様な内面を持っている人なのである。精神世界の富豪であり、魂の特権階級である。
そして魂の研磨は時として「成金」よりも困難な目標であり、努力が常に報われるというものでもない。
誰もが同じ金額で閲覧出来るある芸術も、そこから得られる感動の量については各人の才能・経験・知識によってかなりの差がついてしまう。だがこうした内面の不平等については、厳しい「自己責任論」が大手を振るっているのが現状である。
蛇足だがこんな物語も作ってみた。
X氏は経済学部で学んだ知識を活かし、毎月趣味に費やすお金を50000円確保出来ました。X氏はそれを全部ナイトクラブに注ぎ込む事で、辛うじて精神の充足を得ていました。
Y氏が文学部で学んだ知識は経済界ではあまり活かせず、趣味に費やせるお金は毎月10000円しか確保出来ませんでした。でも、毎月5000円の書籍代だけあれば充分幸せでした。
ある日、人民はお金持ちを妬んで、厳しい累進課税制度を作りました。
X氏は没落して自殺しましたが、Y氏はその後も和歌を詠んだりして日々幸福を貪り続けたそうです。
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