中道風の論説にこそ御注意――丸山眞男の『戦争責任論の盲点』の盲点

 ちょっと前に友人から、当ブログが「右翼も左翼も批判している」事を褒められた。この時私は、自分がまだまだ精進が足りないと反省した。
 確かに当ブログの書評で複数回批判したのは、現時点まででは一般に右翼・左翼に分類される事が多い故濤川栄太氏と辛淑玉氏の二人だけである。しかしこれは偶然や不努力によるものであり、元来私は、右翼や左翼よりも、如何にも中道の装いを凝らした態度の人物・文章にこそ油断をしてはならないと思っている。
 あまり良い喩えではないが、『徒然草』第百九段に無理に当て嵌めてみる。右翼や左翼の思想書は、誰もが自然と警戒しながら読むから「梢」の様なものである。騙され難い(墜ち難い)し、事情により部分的に採用する(意を決して跳び下りる)際にも事前に十分な警戒が出来る。読者がつい警戒を怠ってしまう中道の思想書は、「軒長ばかり」の辺りの高さである。ここから墜ちても十分痛い。
 中間説が両極端説を批判している時は、更に警戒が必要である。そういう文章は、それだけで賢く見えてしまう事が多い。また両極端説の論客も、それぞれその中間説の半分だけを批判して事足れりとしてしまう場合が多いので、そういった文章が決定的な批判を受ける事は少ない。
 私は、子莫の思想を認めなかった孟子の精神を継承し、「中間」が「中庸」や「ジンテーゼ」とは別物である事を訴えていきたいと思っている(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20081110/1226254139)。
 今回はそうした作業の一例として、丸山眞男の『戦争責任論の盲点』を批判的に検証してみる。
 この論文は『丸山眞男集』の第六巻(岩波書店・2003)に収録されており、昭和天皇日本共産党の戦争責任が追及されていない事を同時に問題視したとして有名なものである。これを批判する文章も、昭和天皇共産党のどちらか一方しか庇わない事が多い。そこで私が両者を同時に庇ってみようと思い立ったのである。
 まず昭和天皇についてだが、丸山は戦前の天皇の主権者としての権威・権限を列挙し、だから責任があるとし、それなのに全く責任をとっていないと主張する。
 しかし丸山が戦前の天皇の権威・権限の強大さを強調すればする程、「象徴」への降格処分もまた巨大なものに見えてくる。「これでもまだ責任をとり終えたとは言えない。」と主張する事は可能だろうが、全く責任をとっていないかの様な主張は現実味が感じられない。
 この私の反論には、「主権者から象徴になったのは、単なる制度上の改変の反射的不利益に過ぎない。」という再反論がある程度は可能だと思う。だからもう少し話を続ける。
 丸山は「具体的にいえば天皇の責任のとり方は退位以外にはない。」とも主張する。何とも頭の固い態度である。より軽い責任の取り方として「摂政を置く。」という発想は無かったのか?皇室典範に全く規定がない「退位」よりかは、早く思いつけそうなものだと思う。またより重い責任の取り方として「在位したまま絶食その他の手段で自己の生命を脅かす。」という発想が無かったのは、丸山が戦前の教育を受けた世代だからかもしれない。
 次に共産党についてだが、丸山は政治的指導の巧拙の問題を奮戦力闘ぶりの問題と混同する態度を批判して、「共産党はそもそもファシズムとの戦いに勝ったのか負けたのかということなのだ。」と書いている。そして共産党を頑張った敗軍の将程度の存在に喩えている。
 批判対象となった態度よりかは賢明かもしれないが、やはりこれも私は納得が出来ない。戦いを勝ちか負けかでしか評価していないのが問題である。
 例えば、平均的な指揮官なら兵の四割を失って敗北するであろう戦局で、敗北の際の兵の損失を三割に抑えられる指揮官がいれば、それは名将である。この名将が、敗軍の将呼ばわりされるのを怖れて、採用される可能性の高い自薦をしなかったとしたら、それこそ倫理的に問題のある態度である。平均的な指揮官なら兵を一割失って勝利出来る局面で、手柄を求めて強引に自薦をした挙句兵の二割を失って漸く勝利する様な指揮官もまた、問題視されるべき存在である。
 つまり、共産党が勝ったか負けたかではなく、より効果的な戦いが可能だったか否かを問題にすべきであると、私は思うのである。
 この論文の前半では、戦争責任問題における「白黒論理」が批判されている。「一億総懺悔」の欺瞞を憎むあまり、日本人を戦争責任者と戦争無責任者とに二分してしまうと、49歩と51歩との間に不自然な隔絶を生じせしめるというものであり、実に素晴らしい二分論批判である。
 それを書いたのと同一の人物が、しかも同じ論文の後半で、「天皇は責任をとったかとらなかったか」・「天皇は退位する(した)か否か」・「共産党は勝ったか負けたか」という、概論のための二分論ではない単なる稚拙な二分論に陥ってしまっているのは残念である。
 加えて、私が稚拙だと感じた後半部分の方が前半部分よりも高く評価される事が多いのも、非常に残念である。
「子曰 狂而不直 侗而不愿 悾悾而不信 吾不知之矣」(『論語』泰伯篇より)

新訂 徒然草 (岩波文庫)

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丸山眞男集〈第6巻〉一九五三−一九五七

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