親不知

 新潟県は大きく三つの地方に分けられ、京都に近い方から順に「上越」・「中越」・「下越」と言うそうです。まるで「越の国」とは自分達だけだと言わんばかりな態度です。富山の人々は「中越」にどんな感情を抱いているのでしょうか?
 それはさておき、今回の旅行の目的の一つは、上越地方にある親不知子不知の難所を観る事でした。大昔にこの難所を主題にしたフィクションに触れた事があったのですが、それ以来親不知子不知を訪れるまでは死んでも死にきれないとすら思う様になってしまったのです。謂わば業の様なものです。
 その日は新潟市内の逗留先を六時二十分に出立したのですが、電車の本数も少ないため、親不知駅に到着した時には十一時二十分になっていました。途中で会社もJR東日本からJR西日本になりました。フォッサマグナも越えました。新潟が如何に広い県であるかを実感させられました。

 駅に大体の地図が張られていたので、とりあえず西隣の市振駅まで歩いてみる事にしました。

 どうやら長年の工事の結果、親不知は既に難所ではなくなっていたみたいです。それでも越後だけに景勝は楽しめそうだったので、海を横目に歩き続けました。
 しばらく歩いていくと、親不知ピアパークという休憩所がありました。

 そこに在った「翡翠ふるさと館」で見聞を広め、レストランで名物の岩牡蠣のフライと鱈汁を食べました。


 日本海がかなり気に入ったので、いっそこの周辺で一泊していこうかなとも思いました。というのも、帰路にも五時間と考えると、夕日を楽しんでいては終電に間に合わなくなる可能性が大だったからです。
 しかしそういった観光客の感情を見越した心算で立てたらしい民宿の広告の看板はどれも薄汚れており、却って負の印象しか持てませんでした。特に下の写真にある立て看の宿には死んでも泊まる気になれません。

 さて更に西に歩いていくと・・・

 歩道が終わりました。それでも無理に歩いていると、大型トラックが物凄い速さで私の傍を通り過ぎます。海岸線は曲がりくねっているので、どちら側を歩いても、カーブしたばかりのトラックが私を轢く可能性が大なのです。
 親不知子不知の難所、未だ健在なり!
 それでもしばらくは我慢して歩いていたのですが、トンネルに出会ったので諦めがつきました。
 ひょっとしたら人の通る裏道も在ったのかもしれませんが、探す気力も失せ、そのまま帰路につきました。
 ともかく、業が払えて良かったです。これで何時でも安心して冥土へ旅立てます。
 途中、直江津駅で降りてみました。予想はしていましたが、大河ドラマの影響力は凄まじかったです。