映画『永遠の法』を鑑賞

 幸福の科学が『仏陀再誕』(http://www.buddha-saitan.jp/wb/index.html)という映画を製作し、既に前田有一氏言う所の「勇者」達が(参照→http://movie.maeda-y.com/movie/01367.htm)、作品の紹介・批評等を数多くネット上に掲載している。
 こうした世情に触発され、私も2006年に発表された同教団製作の映画『永遠の法』を借りてきた。以下はその感想である。
 無駄足を踏ませないために先に断っておくが、幸福の科学の教義について詳しく知っている人の感想や、逆にそれをまったく知らずに本作品を観た人の感想のサンプルを集めている方は、他を当たって頂きたい。私が幸福の科学関連の映画で観たものは『太陽の法』・『黄金の法』の二作品だけであり、大川隆法氏の著作で読んだものは『ノストラダムス戦慄の啓示』(幸福の科学出版・1991)の一作品だけである。その程度の知識の人物の感想である事を了とされたい。
 また賞賛点も批判点も忌憚無く書くので、どちらか一方だけが列挙されている文を読んで愉快な気分になりたいという方にとっては不愉快な文であろう事を、先にお伝えしておく。
 まずレンタルビデオショップで「タイトルはこれで御間違いないですか?」と聞かれて、大いに恥ずかしかった。いきなり六波羅蜜の一つである「忍辱」の修行になった。
 背景の絵はコンピューターを駆使して緻密に美しく描かれていた。特に、三途の川を渡った直後の花畑と八次元の透明な建築物の美しさには率直に感動した。
 一方で人物の顔にほとんど表情が無く、台詞に合わせた口の動きも雑であった。私個人の感性には合わなかったが、漫画界には背景をリアルに描いて人物の顔をとことんのっぺりと描く画法で人気を博した水木しげる氏の様な人物もいるのだから、アニメにおいてもこれこそが好みだという人もいるのではないかとも思われた。
 大川氏の分身を演じるのは今回も子安武人氏であるので、子安氏のファンは安心して観られると良い。因みに私の知り合いで「子安も仕事選べよな!」と怒っている人がいるのだが、私は「子安の魅力は悪役も正義役もそれぞれ演じられる点だ。」と弁護している。なお大川氏の分身役が正義役か悪役かについてはここでは決め付けず、読者諸氏の宗教観に委ねたい。
 一方で、『太陽の法』では梵天として子安武人演じる仏陀と戦い、『黄金の法』ではプロメテウスとして子安武人演じるヘルメスと戦い、『仏陀再誕』では荒井東作として子安武人演じる空野太陽と戦ったと言われる銀河万丈が、今回は温厚なエジソングーテンベルク蔡倫)を演じている。今までギレン系のイメージしか無かったのだが、こういう善人風の声も出せるのかと驚かされた。これだけでも借りて良かったと思うのに充分であった。
 以下、荒筋も紹介していきたい。
 主人公(男性)は八次元にいるエジソンからシャーマンを通じて霊界通信機の設計図を教わり、二人の友人達(どちらも男性)と協力してこれを完成させる。
 やがてゴッドイーグルという霊の導きで主人公・その未来の配偶者・二人の友人の四名は霊界に行く。霊界は四次元から九次元まであるのだが、二人の友人は六次元から七次元に行く試験に不合格となり途中で落伍し、しかも合格した主人公達を妬んで地獄に堕ちてしまう。
 主人公は、七次元で松下幸之助豊田佐吉等と会い、更にはエジソンの導きで八次元に行く。主人公の未来の配偶者は、七次元でアフロディーテナイチンゲールマザーテレサ等と会う。
 主人公とその未来の配偶者は地獄に堕ちた友人達を助けに行く。初めはニーチェらしきキャラクターが主人公を地獄の仲間に引き入れようとするが、論破される。
 余談だが、ニーチェは『アンチクリスト』でキリスト個人を尊敬しつつも宗教としてはキリスト教より仏教の方が良いとしていたので、キリストに九次元霊としての地位を与えつつ仏陀の格下とした幸福の科学としては工夫次第でもっと良い活用が出来ると思うのだが、この扱いであった。
 三島憲一著『ニーチェ』(岩波書店・1987)第八章第三節によると、ニーチェは晩年の書簡で「私が人間だというのは偏見です。私はすでに幾度も人間たちの中で暮らしましたし、人間が経験できるすべてのことを、卑小なことから最高のことまで知ってはいます。しかし私はインドでは仏陀でしたし、ギリシアでは、ディオニュソスでした。――アレクサンダーとシーザーは私の化身です。……最後にはヴォルテールとナポレオンでもありました。ひょっとしたらリヒャルト・ヴァーグナーであったかもしれません。今回は勝利に輝くディオニュソスとしてやってまいりました。……天はすべてを挙げて私の到来を歓喜して迎えています。私は十字架にもかかったことがあります。」と書いたらしいのだが、あるいはこれが似た事を言っている大川氏の逆鱗に触れたのかもしれない。
 次にヒトラーらしきキャラクターが出てきて巨大な魔獣を操って主人公を潰そうとする。主人公は空から降ってきた巨人兵を操って対抗する。この戦いは迫力こそあるのだが、両者共に操り手から先に倒してしまおうという発想が無かったのが残念である。操られた巨人・巨獣同士の戦いを描きたいにしても、「あそこにいる指揮者を潰せば勝利は目前だというのに、一瞬でも隙を見せたら我が方の駒が瞬殺されるのは目に見えている。むむむ・・・。」等の一言が入るだけで随分違った筈だ。
 結局主人公はこの戦いにも勝利する。私はここで銀河万丈氏が最後の黒幕として「君に霊界通信機を作らせたのが誰だか覚えているかね?ふふふ、全ては私の戯言だったのだよ。」とか言いながら登場していつも通り子安武人氏に滅ぼされるのではないかと期待したのだが、エジソンは最後まで主人公側に立っていた。以前ワンパターンで有名なドラマ『水戸黄門』で悪人を懲らしめない珍しい話を視聴した時も「してやられた!」という爽快感があったのだが、本作品からもそれに類似する感動を得られた。
 最後に主人公は九次元に行く。九次元は霊達も含めてほとんど全てのものが金色である。何となく成金趣味みたいであるが、『太陽の法』では九次元霊達はもっと色彩豊かだった記憶があるので、単に悟りきれていない主人公が九次元の偉大さを地上で価値を認められている貴金属の色でしか把握出来なかったという事態を描写しているのかもしれない。
 この映画では散々現世主義が批判されていたのだが、九次元には「敬鬼神而遠之」等の名言で有名な孔子もいた。歴史上の有名人の格付けをしたフィクションとしての先達である『神曲』についても、「デモクリトスエピクロスの扱いがこうも違うのは、単なる無知か、それとも深い理由があるのか。」といった議論があるので、今後この作品が映画史に残れば孔子の扱いも一つの研究対象となるかもしれない。
 ここでようやく子安氏の声が聞ける。前述した子安氏と銀河氏が戦わない件といい、子安氏の登場回数が抑制されている件といい、とことん「異色作」であるという感想を持った。
 それにしても、仏陀・キリスト・孔子・モーゼ・エジソングーテンベルク蔡倫松下幸之助豊田佐吉ナイチンゲールマザーテレサヒトラーニーチェの子孫や熱狂的な信奉者が、本作品での彼等の扱われ方を憤って過激な行動に出ないか心配でならない。以前日本では、ある宗教団体を批判した「講談社」という出版社が、過激な信者達の抗議行動に悩まされたという事例もある。監督・製作総指揮者の科学的御多幸をお祈りしたい。

ノストラダムス戦慄の啓示 (OR books)

ノストラダムス戦慄の啓示 (OR books)

ニーチェ全集〈14〉偶像の黄昏 反キリスト者 (ちくま学芸文庫)

ニーチェ全集〈14〉偶像の黄昏 反キリスト者 (ちくま学芸文庫)

ニーチェ (岩波新書)

ニーチェ (岩波新書)

水戸黄門 第一部 シリーズ BOX [DVD]

水戸黄門 第一部 シリーズ BOX [DVD]

神曲 上 (岩波文庫 赤 701-1)

神曲 上 (岩波文庫 赤 701-1)