「長方形」という言葉を知らない中学三年生に出会った。

 「長方形」という言葉も定義も知らない中学三年生に出会った。
 「長方形」は別に特殊な数学用語ではなく、日常でも極めて遭遇率の高い単語である。
 だから私は最初、その子が長年引き篭もっていて家族とも対立していて本も読んだ事が無い人物なのかと思った。しかし国語の成績は、平均より下であるものの、度外れて悪いものではないと判明した。語彙はそこそこあるらしい。
 その子の家族・友人・過去の担当教師の全てを糾弾したくなった。何故「長方形」を知らない事を長年見抜けないでいたのかと。あるいは何故気軽に「長方形って何?」と聞ける程度の信頼関係すら築かなかったのかと。
 またそのどちらか一方だけでも達成した人物が周囲に仮にいたとするなら、その人には何故その時教える手間を省いてしまったのかと問い詰めたい。
 特に小学校の高学年にその子を担当した教師を強く批判したい。数学の時間だけ会いに来る中学校の先生とは違い、小学校の先生は常にその子と同じ教室にい続けた筈だ。「2×(5+3)=」が解けて「縦5cm横3cmの長方形の周囲の長さは?」が解けない子供の存在に気付かなくてどうする?
 そして「長方形」の定義を知っている演技を長年し続けてきた子の内面をあれこれ想像すると、背筋が凍る。
 自分の周囲に基礎的な事を知らないまま育ってしまっている人はいないだろうか?それを隠そうとしている本人に向けては「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。」という諺が広く流通しているが、その周囲の人間に向けた教訓というものはあまり聞かない。大切な人に一生の恥をかかせないためには、我々は少し意識的になる必要がある。