仏の人権

 ミニ・シンポジウム「礼拝像の生動性をめぐって」(http://www.l.u-tokyo.ac.jp/shiseigaku/ja/yotei/s100516.htm)を聴きに行きました。
 主役である講演者のMichele Bacci氏の話も当然面白かったのですが、私が一番興味を惹かれたのは、第二部の鐸木道剛氏の話でした。
 ある寺の貼紙の写真がアップで紹介されました。そこには、「仏像には肖像権が発生します。」と書かれていました。
 鐸木氏は、日本では仏像が生きているものだと見なされてきたとし、それは偶像崇拝の否定を叩き込まれている欧米文化と決定的に違うという話をしていました。
 私はその貼紙の写真が、外国で『世界おもしろ法文化』みたいな題名の書籍に載せられて馬鹿にされる(されている)のではないかと思いました。
 日本でも外国の(日本人から見て)変な法律や裁判を笑うというジャンルがありますが、実は中々どうして日本も笑われているのです。以前外国で出たその種の本の翻訳を読んでいたら、動物を原告にした釧路湿原を巡る訴訟が笑われていました。それ以来私は、外国のどんなに奇妙に見える裁判についてもその文化的・訴訟戦術的背景に一応は想いを馳せると同時に、自らの属する法文化をなるべく客観的に自省する事にしています。
 「日本の宗教家、偶像の人権を主張。背後に人権のインフレ化を目指す全体主義者の影。」とか書かれていたら、少々恥ずかしいですし、また少々面白くもあります。
 これは余談になりますが、鐸木氏は「肖像権」という用語はそもそも人間の場合でも法律・判例では認められていない事にも軽く触れていました。これは法学の試験では有名な落とし穴なのですが、美術史を専門とする研究者がしっかりと知っていた事には驚かされました。
 以前、末川博編『法学入門』第5版補訂2版(有斐閣・2005)の116ページで、「最高裁は、みだりに容姿・姿態を撮影されない自由(肖像権、一九六九(昭和四四)年一二月二四日)、・・・をプライバシーの権利として認めている。」という不適切な記述を見つけて憤った事があります。
 三流の法学者より遥かに法について誠実な美術史学者の姿に感動すると同時に、同書への怒りが再燃しました。

法学入門 (有斐閣双書)

法学入門 (有斐閣双書)