THE COVE

 何かと話題の『THE COVE』(ザ・コーヴ)の試写会に行ってきたので、感想等を報告したい。
 
 まずは、映画の主人公ともいうべきリック=オバリーが、アメリカ等でもイルカ漁の違法な妨害活動をして何度も捕まっているという事実が語られた事に、驚かされた。彼はロシアでは同志が殺されたとも言い張っていた。過激な行動のせいで様々な団体や会議から追放処分を受けた話も語られた。
 太地町からイルカを輸入している国々が世界地図の中で赤く塗られている場面もあったが、ここで告発された国はほとんどがヨーロッパと北米の国であった。
 日本で鯨漁・イルカ漁に賛同する人の多くは、しばしば「欧米の文化帝国主義 VS 日本(東洋)の文化多元主義」という図式を持ち出す。私もその図式に感化されていた事は否めない。
 しかしながらこうした場面を観ると、「文化帝国主義テロをしっかり取り締まる欧米 VS 文化帝国主義テロを事実上野放しにしている情けない日本」という図式も浮かんでくる。
 後半では、活動家には60〜70代の老人が多くて後継者が不足しているという話も語られていた。
 以上により、案外欧米とも対話の可能性が開かれているのではないかという感想を持てたのが、今回の最大の収穫であった。
 
 次に、オバリーの精神構造を理解する手助けとなる場面も幾つか紹介したい。
 イルカの大切さについての語りの中で、「ギリシャ時代では」という表現があった。これは字幕の書き手のせいかもしれないが、本当にそういう意味で語られていたのなら、異なる文明圏の存在を考慮しない恐ろしい発想である。
 オバリーは、太地町の漁師がいつも「プライベートスペース!」と彼に対して怒鳴ってくる事について、彼等が知っている英語はこれだけだと馬鹿にしている。本当に「プライベートスペース!」とだけ言われるのが不愉快なら、オバリーも持ち前の外国語学習能力を発揮して現地の公用語を習得してから理性的に語り合えば良いと思うのだが・・・。
 「日本の法律では容疑無しで28日間留置場に拘束できる。」という嘘も平気で語られていた。日本人(と世界中の常識人)には確認するまでもない話だが、日本の法文化・法制度は、少なくともアメリカのそれらよりは、逮捕に慎重である。アメリカで何度も逮捕されているオバリーは、日本では自分が逮捕されない事を不思議に思ったりはしないのだろうか?
 WWFも動物愛護協会もIWCもグリーンピースも、オバリー程には過激でないために、批判の対象になっていた。
 オバリーがIWC等に不快感を持っている理由は、生物分類上は鯨であるはずのイルカを、小型であるという理由だけで別の生き物と見做して保護の対象にしていないからとの事である。それを聞いた当初は、一理ある主張だなと思ってしまった。
 しかし後半では、「イルカ肉を鯨肉と称して売っている!自分達のやったDNA検査でそれを見抜いた!」とかいう告発(?)を大真面目にしていたので、大いに理解に苦しんだ。
 因みに配給会社が付け足したと思われるテロップによれば、水産庁はそうした偽装は確認されていないと主張しているとの事である。なおこのテロップは、作中で紹介されたイルカ肉に含まれる水銀の量の数値にも苦言を呈していた。
 また、「自分達はこうして違法な盗撮に成功した!」という雰囲気の中で、作業の詳細も丹念に語られている。彼等が自己の奉ずる正義を絶対的に狂信していたからこそ、臆面も無くこうして証拠と技術とを公開してくれたのであり、私は少なくともここでは連中の狂気を高く評価した。
 実際、ライフスペースのグル高橋に心酔していた人物が記していた詳細な日記が、グルに有罪判決を下すための一助になった、という事例もある。対してオウムやナチスは、下手に社会性が有ったために、自分達に不利な記録を余り残さなかった。
 
 以下、その他の記憶に残った疑問点の一部を公開する。
 映画は、太地町のイルカ産業が大金を儲けているという告発を懸命にしていたが、映された町の家や役所には特に豪華という印象は無く、本当に儲かっているのか疑問に思ってしまった。狭い事で有名な日本の住宅に住んでいる私ですらそう思ったのだから、この点に関しては欧米人の方が更に大きな疑問を持つのではないかと思った。
 他にもイルカ漁には多額の助成金が出ているという話も登場し、不当に儲けている産業を告発するという姿勢は、いつの間にか忘れ去られていた。
 「今と同じ収入を与え続けるからイルカ漁を止めてくれ。」と提案したという話まで登場した。巨大産業(?)に対してこの様な提案をよくもまあ出来たものである。この提案の資金源にはかなり興味が湧いた。
 この提案を、漁師達はイルカを殺さないと他の魚が減るからという理由で断ったらしい。
 ところが映画は、魚が減っているのはイルカや鯨の増加よりも人間の乱獲の方が原因だという方向に話を逸らしてしまう。仮に魚が減った最大の原因が人間にあったとしても、漁獲量を減らさずに水産資源を回復する方法が存在するのなら、それを実行するのは決して悪い事ではないと、私は思うのだが、如何なものであろうか?
 その一方で、「イルカは、人間と同じく生態系の頂点にいるのだから、水銀を大量に含んでいて、食べると危険だ。」という主張も、この映画は平気で併せ行っていた。
 生態系での地位の他にも、知能に関しても、「人間と同じ」という主張が登場した。イルカは人間と同じ程度に賢くて言語も覚えられるとの事である。それなのにオバリー達がイルカに「日本に近付くな!」と教えてやらない理由は、謎のまま終わった。
 「イルカに人間の言葉を教えるより人間がイルカの言葉を学べ!」という謙虚な主張すら登場した。してみるとオバリーも、いつまでも親切な日本人から「プライベートスペース!」と言われ続ける事態に満足していない方が良いかもしれない。
 
 さて、この映画の日本公開に反対している人達がいるらしい。
 「違法な手段で撮影された映画を儲けさせる事は、他の悪事の奨励になるから。」だの「モザイクをかけても、声で盗撮の被害者が特定されかねないので、人権問題がクリアされていない。」だのという理由で反対しているのなら、そうした主張への私の賛否はともかく、それなりに一理ある見識であるとは思う。
 だが、もしも「この映画の理念に騙される日本人がいるかもしれないから。」という理由で反対しているのなら、やめておいた方が良い。こんな馬鹿な連中に騙される人間の数より、連中に怒りを感じる人間の数の方が、ほぼ確実に多いだろうから、『1984年』の「二分間憎悪」と同じく、公開は日本人の結束を寧ろ強める方向に作用するであろう。

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)