村崎百郎氏死亡に際して書かれた唐沢俊一氏の文章への若干の疑問

 23日午後、作家の村崎百郎氏が刺され、死亡したらしい(参照→http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100723-00000183-jij-soci)。
 この事件に関して、村崎氏の知人である唐沢俊一氏が『唐沢俊一ホームページ』に『村崎百郎氏、死去』という文章を書いている(参照→http://www.tobunken.com/news/news20100724004748.html)。
 私はこの文章に若干の疑問を抱いたので、それらを発表しようと思う。なお私は、この件に関しては、少なくとも現段階においては、唐沢氏を批判するつもりはない。
 『村崎百郎氏、死去』の頭の方には、「23日夕、自宅で仕事中にあがりこんできたファンを自称する男に刃物で胸を20数回、刺されて即死状態だったそうです。」とある。
 疑問1。唐沢氏は如何にして、事件当時村崎氏が仕事中だったと知ったのか?
 報道を総合するに、死亡時刻は5:50分頃、殺害場所は一階の居間だったそうである。「村崎百郎 "仕事中" "刺"」検索しても、事件当時村崎氏が仕事中だったという情報は見当たらなかった。
 疑問2。唐沢氏は如何にして、犯人が「ファンを自称」した事を知ったのか?
 先程紹介したYAHOOの記事では、犯人が「黒田さんの書いた実践本にだまされ、恨みを持っていた」と取り調べで主張したという情報が書かれている。「ずっと恨みを持っていた。」とまでしている記事もある(http://jp.ibtimes.com/article/biznews/100724/58013.html)。これは「元ファン」という自称にはなるかもしれないが、ファンを自称した事にはならないだろう。寧ろ、かなり前から「非ファン」であったと称していると解すべきだ。
 以上により、「ファンを自称する」の部分は「事件当時犯人がファンを自称した。」という意味で解釈べきなのであろうが、これは果たしてどこから得た情報なのであろうか?やはり「村崎百郎 "ファンを自称"」で検索しても、出典は見当たらなかった。
 『村崎百郎氏、死去』を更に数行読み進めると、「その当人が、まさかこのような猟奇的事件の被害者になるとは……。」という部分がある。
 疑問3。唐沢氏は何故、この事件を「猟奇的」と評したのか?
 報道や唐沢氏自身が紹介する事件の概要を読む限りでは、「猟奇的」と評するのは行き過ぎではないかと思われる。何かまだ報道されていない、重大な情報があるのだろうか?
 ただし、人によってはこの程度でもやはり「猟奇的」の範疇に入れるべきとするかもしれないので、これは私の個人的疑問に過ぎないとも言える。
 
 仮説1−1。マスコミ関係者から、事件に関する未報道の情報も得た。
 『村崎百郎氏、死去』には「新聞社に務める(ママ)知人」とやらが登場するので、「新聞社に勤める知人」なり「新聞社員を務める知人」なりが実在して、何かを教わった可能性はある。
 おそらくはこれが一番正解に近いと私は思っている。
 しかし、一般に知られていない情報について語る際、その情報源を明かさなかった上に、事情により明かせないという意味のことわり書きもしなかった事の理由は、謎のまま終わる。
 仮説1−2。一部のテレビ局等では、犯人がファンを自称して仕事中の村崎氏を猟奇的に殺したという報道をした。
 活字の記事を検索しても全く見当たらない情報でも、映像の世界では普通に流された情報であるという可能性までは否定しきれない。
 しかし、『村崎百郎氏、死去』の「との報道がありました。」という表現の位置から考えて、疑問1と疑問2に関する情報の出典が報道である可能性は低そうである。
 仮説2−1。想像と現実との区別が出来なかった。
 『唐沢俊一検証blog(http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/)』等で告発された数多くの唐沢氏の虚言を読むに、唐沢氏は想像と現実との境界が曖昧になってしまう人物である可能性が高い。加えて、仮に通常人であっても、知人が突然殺されれば気が動転してしまうのは無理の無い事である。
 仮説2−2。意図的に流したフェイクの情報。
 唐沢氏の虚言には、何らかの動機の下で、意図的に吐かれたものも多い。例えば、記事の終わりにある「サブカル界のジョン・レノン」という冗談の方を先に思いつき、何としてもその冗談を挿入したいという思いから、そして他の冗談を思いつけないという焦りから、殺害の状況の方を修正してしまったのかもしれない。
 仮説3。事件の関係者しか知り得ない情報を知り得る立場にいた。
「おやおや、当時現場にいなかった筈の貴方が、何故そんな事まで知ってらっしゃるんですか?」