オープンセッション「ベトナム資料における象の位相と享保十三年渡来象」

 昨日は百草園を観た(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20110209/1297256625)後、東京大学東アジア・リベラルアーツ・イニシアチブ(http://www.ealai.c.u-tokyo.ac.jp/ja/)のオープンセッションに行きました。
 講演者のハノイ大学のファン=ハイ=リン氏は、日本中世史の研究者だそうです。
 当初私は不遜にも、「外国人で中世の日本の史料を読み解ける人なんているの?」なんて思ってしまいました。ところがファン氏は、ベトナムの漢文資料を引用する際、なんと日本語で読み下してくれたのです。しかも、日本人が書いた史料の「候而則」をも、しっかり「そうらいてすなわち」と読んでいました。「これは敵わん。」というのが率直な感想でした。
 語られる内容はどれも面白かったのですが、個人的に特に非常に興味深かったのは、晩年に民間に払い下げられた渡来象が暮らしていたのは中野村だ、という情報でした。興味深く感じたのは、別に深遠な理由があったからではなく、中野が講演の前日に『唐沢俊一検証本VOL.4』を買いに寄った街だったからです(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20110208/1297177153)。
 ファン氏の講演が一段落した所で、ロバート=キャンベル氏のコメントが始まりました。キャンベル氏は象に関する自作の表を「表象(ひょうしょう)」と掛けていました。この人達の語学力にはとことん驚かされます。
 やがて質問の時間が始まりました。
 最初の質問は、「象の鼻は食べられるのか?」というものでした。ファン氏は直ぐに、William Dampier著『旅行と発見』に、北部ベトナムでは死んだ象の肉は原則として民間に払い下げられるが、鼻だけは官吏に特権的に与えられた、という内容の記述がある事を話してくれました。
 次の質問者の老人は、ネットにおける「荒らし」みたいな人でした。ほとんど無意味な内容の演説を滔々と語っていましたが、辛うじて意味の読み取れる部分を好意的につなげてみると、どうやら彼は既存のアカデミズムが気に食わないらしく、「昔の学者は教養があったからインスピレーションがあって象の全体像を理解出来ただろうに、今の学者は今日の講演の様に象兵の歴史だの象の値段だのという瑣末な歴史に拘泥しているので駄目だ。」という主張をしたかった様です。他にも五箇条の御誓文がどうとか言っていましたが、流石にそうした部分までをも全部採用して彼の主張の要約を作成する事は困難であり、その困難を無理に乗り越えると単なる皮肉になってしまいかねないので、やめておきます。
 外国の知識人に日本の恥部を見られてしまうという状況に居合わせると、どうにも居たたまれない気分になります。
 そしてここでまた、前日に購入した『唐沢俊一検証本VOL.4』の第4章に描かれていた、アカデミズムを逆恨みした挙句に知識人を誹謗中傷し続けた一派の事を、ふと思い出しました。
 そして、「学者になれば、馬鹿と会話せずに済むから。」という幻想を理由に学者を目指している人は、世の中にはこういう事件もあるという事を早めに知っておくべきだろう、と思いました。