日本のサービス残業文化を弱体化させるために、教師が出来る事

 小中学校の厭な思い出の一つに、チャイムが鳴っても教師が授業を続けるせいで休み時間が減る事が多かった、というものがある。
 授業時間の延長は教師本人にとっても超過労働であり、熱意が動機で延長していたのも、今なら解る。しかし多くの生徒にとっては、延長時間は怒りと憎しみと焦燥感と疲労感に塗れた辛い数秒間・数分間であった。
 「偉い人」の計画性の無さや無能さのせいで生じた遅れの皺寄せが自分に来る事を、「偉い人も頑張っているから」という理由で立場の低い者が甘受する。この事態が義務教育を通じて延々と続けば、やがてサービス残業文化に抵抗する精神を持たない労働者へと育つのも、無理の無い話である。
 逆に、義務教育期間を通じてチャイムが鳴った途端に教師がピタリと話を止め続ければ、時間は厳守して当然という人材が育つであろう。彼等は、単にサービス残業を憎むのみならず、一定時間内に話を纏める努力と工夫をするであろうし、遅刻率も極めて低いと思われる。こういう人材が日本で増える事は、経営者の側でも必ずしも損な話ではない。
 特に「左翼」を自負する教師の内、本当に労働者の幸福を考えておられる方々には、近代的な時間厳守の素晴らしさを日本の子供達に教え込む事を、切にお願いしたい。そうする事で、単に日本社会を北朝鮮に似せる事だけを目指している三流左翼教師と自分との差異が、より明らかになるであろう。
「往役 義也 往見 不義也」(『孟子』萬章章句より)