テレビ版『うる星やつら』第112話「ラムとあたる・二人だけの夜」の二重の欺罔

うる星やつら TVシリーズ 完全収録版 DVD-BOX1

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 テレビ版『うる星やつら』第111話「怒りのラムちゃん!」に付属する次回予告は、諸星あたるとラムが同衾している衝撃的な絵で終わっている。
 しかしこれは視聴者にある種の誤解をさせるための絵である。実際の第112話「ラムとあたる・二人だけの夜」では、その場面の後で、寝相の悪いラムが掛け布団を蹴り飛ばし、あたるが分厚くて堅牢な耐電スーツを着て身動き出来ずにいる状態であったという「真相」が明らかになっている。ほぼ原作通りのラストシーンであり、原作であたるが耐電スーツを着せられる時に行われたものと同じ内容の会話が、そこにおそらくは数分前の回想という形で被せられている。
 ここで多くの視聴者、特に原作の愛読者は、「なんだ、(原作通り)二人は一線を越えなかったのか。」で済ませてしまったと思われる。
 しかしこれは、「『うる星やつら』には原作がある。」・「アニメでは「落ち」が多用される。」という二つの通念を利用し、一つの欺罔の効果が終わった隙を突いて、「誤解が解けた」と誤解させる、第二の欺罔であると思われる。
 冷静に思い起こせば、布団が敷かれてから掛け布団が蹴られるまでの一定の時間は、しっかり飛ばされている。その間に何があり、あたるがいつ耐電スーツを着たのかについては、視聴者においては不可知の領域なのである。
 一般論としては、不可知の領域については、可知の事実からの類推により、在り得た諸状況間での確率の多寡の上下関係を定める事が出来る。だからこそ歴史学は意味を持ち、実験に基く科学の成果は実際に有用である。哲学上の厳密性はともかく、社会通念上はそれで上手く行っている。
 よって112話についても、二人が一線を越えた可能性の程度の検証に、まずは挑戦すべきなのであろう。だが結論から述べると、私は検証はほぼ不可能であると思っている。そしてその原因は、製作者側によって意図的に構築された可能性が高いと思っている。
 まず、『うる星やつら』においては、ある話を解釈する際における他の話の資料的価値が低いという事は、前日の日記(http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20110501/1304259835)で証明した通りである。
 では、112話の系譜を引く可能性のある全ての話を視聴し、ラムとあたるの言動・雰囲気を検証するという物量作戦なら、どうであろうか?実はこれもほぼ無意味と思われる。
 というのも、112話では、あたるが図式を用いて一線を越えた場合と超えなかった場合についての詳細なシミュレーションを行うという、原作には無かった場面が追加されている。ここではラムのみならずあたるまでもが、一線を越えようが越えまいが行動は全く変わらないという事が、本人によって明言されている。
 以上により、112話で二人が一線を越えたか否かについては、無理な説明を加えて確率の微妙な差異を強引に主張するよりは、ほぼ50:50という設定をそのまま受け止めておく方が良いだろう。その方がロマンティックでもある。
うる星やつら 18 (少年サンデーコミックス)

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