私とサイコパスの関係――平和な半年間を記念して

 注:この記事にある私の体験談は、自他の個人情報保全のため、内容の重大さを可能な限り増減しないよう気を付けつつ、どれも実際の設定を25%程変更した。例えば文中に「アルバイト」とあったら、「町内会のボランティアかもしれないな。PTAかもしれないな。」とでも思って頂きたい。
 身近にいる道理とは無縁の行動をする人に対し、私が初めて怒りや憎しみよりも恐怖心を持ったのは、友人の友人に紹介されたあるアルバイトをしていた頃の事である。
 そのアルバイトは原則としてその年度だけの契約であり、「一年間のピンチヒッター」だと私は顧客にも紹介されていた。
 一年目、その職場では、一桁しかいないアルバイターが、次々と辞めていった。それも、妊娠だの、実家で親が行方不明になっただのという、かなり大きな理由付きでである。当時純朴だった私は、その人間模様を見ても、「人生波乱万丈だな。」という感想を持っただけであった。
 実際に三月になった時、私は家庭の事情もあり、約束通りその職場を離れようとした。
 すると雇い主のA(イニシャルではない)は、「いきなり辞めないでよ。」と言ってきた。
 私は「はい。多少困りますが、何かの縁です。3月31日までは協力しましょう。」と言った。
 するとAは身勝手にも元々の約束を無視して、「今辞められたら困る。今まで辞めた人は代わりの人を連れてきてくれた。」と言い張ったのである。
 私はこの瞬間、あの妊娠したという同僚も、あの親が行方不明になったという同僚も、彼女から恨まれずに何とか逃げようとして、無理の無い理由を創出していた事に気付いた。
 当初は「アルバイターなんて自分でいくらでも集められるだろう。」とも思ったのだが、仕方なくしばらく続けて脱出の機会を窺おうと思った自分の感情を分析した事で、真相が見えてきたのである。
 いつも低レベルな皮肉ばかり浴びせてくるAに、普通のアルバイターは愛想を尽かしてしまう。だから、中々辞めないのは、友人の顔に泥を塗りたくない者だけだったのである。
 そうした訳で、Aは常に「人脈」でのみアルバイターを集め、騙されたと気付いた者は、友人の友人あたりを売るか、必死で平和的に辞める口実を探す、という訳だ。
 私はそれまで皮肉を浴びせられる事が少なかったが、翌年度の四月から仕事への意欲をほとんど失ってしまい、それためにAから嫌がらせを受けるようになった。私の仕事ぶりが気に食わないのなら、さっさと求人広告でも出して代わりを自分で見つければ良いものを、怠惰と吝嗇のために、それはしないのであった。この理不尽な状況により、私はますますやる気を失い、件の友人とも疎遠になった。とはいえ、誰かを生贄に差し出そうとは全く思わなかった。
 こうした面ではAは狡猾ではあったが、他の能力は極めて低かった。私の家には、Aが誰か別の人に宛てるつもりだったとしか思えない手紙が、しばしば届いた。そしてAは自分では全員に的確な連絡をした気になっているのである。
 こうして我々は、しばしば半時間・一時間と無駄足を踏まされたり、遅刻者呼ばわりされたりした。
 ある日Aは、いつもの様に連絡ミスを犯した上に、私に偉そうに説教をしてきた。だが私にとって運の良い事に、前日に珍しくAは口頭ではなく文書でその日の予定を私に渡していた。それを持参こそしなかったものの、まだその文書を捨てていないという記憶があったので、私は丁寧に反論し、文書の件も持ち出して諭した。しかしAのヒステリーは止まらなかった。
 翌日、私はAに件のA直筆の文書を突きつけた。私は、Aが、驚くなり、恥ずかしがるなり、「偽造だ!」と言い張るなり、何かしらの強い反応を示すだろうと思っていた。
 ところが、Aは無表情で、特に目立った反応は無かったのである。
 その時、私の中で煮えたぎっていた怒りが、一気に背筋も凍る恐怖感へと転じた。
 当時まだ「サイコパス」という言葉の意味を知らなかったが、本能が強く何かを教えてくれたのであろう。
 あそこで正義を貫こうとしていたならば、『ノルウェイの森』のレイコの如く、ほぼ確実に、自分の方が加害者であるという噂を立てられていたであろう。あるいは『黒い家』の潰し屋の如く、殺されていたかもしれない。
 その後、私は何とかそのバイト先から平和的に去る事に成功した。多くのものを失ったが、ある意味で非常に良い人生経験になったと思っている。
 やがて『良心をもたない人たち――25人に1人という恐怖』という本を読み、所謂「厭な奴」や「悪人」とは別種の、「サイコパス」という究極的な反社会的人格の持ち主がいる事を知った。同書によると、アメリカ人の4%がこの定義に当て嵌まる一方で、日本人では1%未満しかサイコパスがいないそうである。
 この本で得た知見と、Aに関する思い出話とを準専門家にしたところ、「確かにAはサイコパスかもしれんが、ボケの初期症状の可能性も否定出来ない。」と言われた。
 以来、「サイコパス・単なる悪人・単にIQが低い人」の三者を慎重に見分けるよう努めた。また、自分がサイコパスの攻撃の標的になったと判明した場合には、下手に報復するのではなく、全力で平和的に遠ざかるよう努めた。
 そして私は、その逃走の全てにほぼ成功した。逆恨みは一切受けていない自信がある。
 現時点で私にとって最後のサイコパスBとは、約半年前に縁が切れた。本当はちょうど半年目に記念の記事を書きたかったのだが、万が一それが原因で私が消えた理由がBに知れたら大変なので、数日ずらした。
 この半年間は、たまに病気もしたが、久々に本質的に平穏な日々を過ごせた。
 ラスボスだけあってBと縁を切るのは難しかった。Bと二度と会わないようにするには、私はある集団から手を引かなければならなかった。それは、他のメンバーに多大な迷惑を掛ける事を意味していた。
 そんな時、Cさんという大変立派な仲介者が、事態を平和的に収拾してくれた。Cさんには一生頭が上がらない。この場を借りて、Cさんには改めて感謝する。
 ただ一つだけCさんに反論しておきたい事がある。と言って言い過ぎなら、誤解を解いておきたい事がある。Cさんからは「嫌いな人とも何とかやっていけるようになって欲しい。」という意味の忠告をされたのだが、私がもし嫌いな人全てから逃げていたら、おそらく小学校すら卒業出来なかったであろう。あくまで、サイコパスだけを選んで逃げているのである。
 私のこの姿勢については、「臆病者め!」という意味の批判も、別の人から何度か浴びせられた。これは「高踏派め!」というCさんからの批判よりは正解に近い。
 私にとっては、サイコパスからの逃亡は、「蛮勇」と「臆病」との中庸である「勇気」である。下手にサイコパスに報復して怒らせたら大変だし、徹底的に報復したら自分が殺人犯になってしまう。
 だが、技量によっては、別の行動を採った方が上手くいく人もいるのかもしれない。『ドラゴンボール』のフリーザは、界王にとっては下手に怒らせないよう放って置くしかない相手だったが、孫悟空にとっては何とか対処出来る相手だったのであるから。
 私を臆病者呼ばわりする自信のある英雄豪傑は、どうかサイコパスと存分に戦い、真の太平の世を築いて欲しい。
「子曰 唯上知與下愚不移」(『論語』陽貨篇より)

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

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黒い家 (角川ホラー文庫)

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良心をもたない人たち―25人に1人という恐怖

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ニコマコス倫理学〈上〉 (岩波文庫)

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DRAGON BALL 22 (ジャンプコミックス)

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