事情により、あるボランティア活動を紹介する

 普段私は、ボランティア歴は自慢気に披露すべきではないという見解にも一理あると思っているのだが、本日は後述するある理由により、私のやっているボランティアの内の一つを語ろうと思う。
 それは、弱者の文章の手直しである。主として労働の現場での虐待や不正に対する抗議・告発の文章を手直ししている。
 単に原案の見栄えを良くするのではなく、被害の実態とそれを訴える相手について詳しく聞いた上で、「それならばここはこう表現した方が良い。何故なら・・・。」と話し合いながら表現を修正していく。本人が知らない単語・熟語が出てきたら、後で「これは本当に君が書いたのか?ならばここについてちょっと詳しく聞かせてもらおうか。」等と言われた時のため、そしてやがては自力でしっかりした表現を用いて抗議出来るようになってもらうため、丁寧に意味を教える。
 個人的な感情を爆発させただけの様にも見えていた原案が、しばらく遣り取りをしただけで、法律や契約に則った冷静な抗議に変わっていく。時として、最終的には、被害者全員の苦しみを訴え、集団全体の行く末まで憂い、トップにとっても魅力的な代案まで添えた、公的な提言へと進化する事すらある。
 それで何の速効も無い場合もあるにはあるが、かなりの確率で感謝される。「いざとなったら硬い文章も書ける人物である。あるいは少なくとも文化資本を持ったバックがついた。こいつを本気で怒らせたら面倒だ。」と思わせる事は、非常に効果があるようだ。
 ここまで読んで「私はgurenekoよりもっと文章が上手だから、同じ事をより効率的に行えるだろう。」とか「自分なら英語で同じ事をやり、外資や米軍基地に苦しめられている人を救えるぞ。」とか思った人が多数いると思われる。実はそういう人々に日本中で奮起して欲しくて、この記事を書いたのである。
 このボランティアは、大変時間がかかる上、人集めも難しく、被害者の身近な人物が担当すると効率が飛躍的に上がるものである。よって組織化に余り意味は無いし、代書屋に任せきりにする訳にもいかない。日本中で能力を持った人が、自発的に自分の人脈を中心に手を少しずつ拡げていく事が望ましい。
 現代日本自由主義は、ヨーロッパに多い「実質的自由主義」よりも、アメリカ型の「形式的自由主義」に近いと言われている。この主義の下の社会では、国家権力がやたらと介入してこないという利点の代償として、「権利の上に眠る者は保護に値しない」という格言がかなり厳格に現実化してしまう。この主義の欠点を減らすには、上手な叫び方を知らない者に対して、私人が私的に援助する事が有効なのである。