『三国志』の劉巴伝が引用する『零陵先賢伝』によると、諸葛亮は劉巴について「帷幄の中で策をめぐらせる事にかけては、私は劉巴に遠く及ばない。」と評価したらしい。
この言い回しは『史記』高祖本紀における劉邦の張良への人物評とほぼ同じである。
諸葛亮はしばしば大忠臣として扱われるが、こういう内容の台詞を史書に残る形で高言していたという事は、自己を劉邦に擬える程度には不遜であったのだろう。
諸葛亮≒劉邦ならば、劉備・劉禅親子≒義帝という事になる。諸葛亮の方で積極的に謀反する心算は無いが、曹操・曹丕親子≒項羽に唆された孫権≒黥布の攻撃で勝手に自滅してくれるならば、それに越した事は無いという訳だ。
『三国志』魏延伝では、一万人の別動隊を率いたいという魏延の提案を、本文で露骨に「如韓信故事」と書いている。諸葛亮にとって魏延≒韓信だったのは傍目にも判ったのであろう。
以上により、これに繋げる形で出てくる「魏延は常に諸葛亮は臆病者であると言い、自分の才能を完全活用してくれないのを嘆き恨んだ。」という意味の文章における諸葛亮の怯えとは、おそらく兵を一万人損失する事への心配ではないと思われる。これは魏延が手柄を立て過ぎて斉王にまで昇進するという悪夢への怯えなのではないかと、私は思っている。
では蕭何に当たる人物は誰かというと、李厳(李平)ではなかろうか?後方の兵糧運送の役目は最大の共通項である。また本人の現役時代から息子の李豊が活躍しているのも、鮑生の献策を受けた後の蕭何に似ていなくもない。
してみると、李厳が直ぐに発覚する様な証拠を残して悪事を行い失脚したのも、自己の権力が劉邦のそれに近付き過ぎた際に粛清を回避しようとして意図的に失脚した蕭何の故事に倣ったものなのかもしれない。
そう考えると、『三国志』李厳伝における「李平は諸葛亮の死を知ると発病して死んだ。李平は諸葛亮が自分を復職させてくれる事をずっと願っていたのだが、後継者が相手ではそれが無理だと思ったために憤激したのだ。」という意味の部分に非常に良く繋がる。劉邦気取りの諸葛亮を相手にお互い了解済みで蕭何の失脚ごっこをしていたら、突然諸葛亮が死んでしまったのである。そうなると自分は単なる失脚者に過ぎなくなってしまうから、絶望して死んだのであろう。
注.意訳部分は適当に自作したものなので、余り信用しないで下さい。
- 作者: 陳寿,裴松之
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1994/03
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 22回
- この商品を含むブログ (26件) を見る
- 作者: 司馬遷
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1997/07/01
- メディア: 文庫
- 購入: 2人 クリック: 19回
- この商品を含むブログ (15件) を見る