数の暴力を活用した張飛 vs 少数の兵で果敢に挑んだ曹操

※最近手元に本がないので、引用した漢文は全部、中央研究院の漢籍電子文献資料からのものです。
 
 『三国志』の張飛伝では、曹操が長阪で劉備に追いついた時、張飛が僅か20名の騎兵でしんがりを務める場面がある。
 
「曹公追之,一日一夜,及於當陽之長阪。先主聞曹公卒至,棄妻子走,使飛將二十騎拒後。飛據水斷橋,瞋目膻矛曰:「身是張益紱也,可來共決死!」敵皆無敢近者,故遂得免」(張飛伝)
 
 張飛は地形を利用して少数の兵同士しか戦えない状況を一時的に作り、敵を大いに脅かすと、誰も張飛と戦う勇気がなかったため、ついに劉備は逃げおおせたのである。
 この部分の記述だけを読むと、『三国演義』のイメージに引きずられていない者すら、少数精鋭の張飛隊が知恵と勇気で数の暴力をしのいだかのように思えてしまう。
 私も最初はそう感じたのだが、次第にそういう固定観念に疑問を持つようになった。
 こういう、やたら一騎打ちが強い相手が狭い場所に陣取ったならば、大軍の側では「遠巻きにして矢を射よ!」とかするものだからだ。
 あるいは仮に矢が不足していても、莫大な褒美で釣った、張飛の名声をあまり知らない雑兵の群れを縦一列であったとしても順番に送りこめば、いつかは張飛も疲れるだろう。
 そういうことをしたくないのであれば、別動隊を安全な場所から渡河させてしまえば、数分後には張飛を包囲殲滅できるだろう。
 そう考えるうちに、張飛はほんの数分持ちこたえれば、一気に逆転出来る状況にあったのではないかと思うようになった。そして曹操軍の兵士の多くもその企みを見抜き、「あんなのを相手にする必要はない」と無視したのではないかと思い始めた。
 以下はその理由である。
 まず長阪で襲われた劉備軍の陣容を先主伝から確認してみる。
 
「過襄陽,諸葛亮説先主攻蒴,荊州可有。先主曰:「吾不忍也。」乃駐馬呼蒴,蒴懼不能起。蒴左右及荊州人多歸先主。比到當陽,眾十餘萬,輜重數千兩,日行十餘里」(先主伝)
 
 まだ諸葛亮が「俺達で劉蒴を攻めれば絶対勝てるぜ!」と言った時点が劉備軍の初期兵力であり、劉備が劉蒴を攻めなかったのに自発的に惰弱な劉蒴を見捨てて劉備軍に加わる者がその後さらに加わり、ついに十数万の大軍が成立したのである。軍需物資を積んだ輜重も数千両であった。それが一日あたり十数里の速度でゆるゆると南進していたのである。
 これは無力だが逃げ足の速い民の群などではなく、戦争で一旗あげようとする血気盛んな連中が敵の突出を誘いながら慎重に後退していく様ではないか。
 対する曹操の軍はというと・・・、
 
「曹公將精騎五千急追之,一日一夜行三百餘里,及於當陽之長坂」(先主伝)
 
 なんと、精鋭騎兵とはいえ、たった五千! 劉備軍の約三十分の一!
 しかも昼夜兼行で、劉備軍の二十倍の速度で走ってきた! 馬も兵士も疲れ切っている!
 これはもう、「龐涓死於此樹之下」の再現という結末の方が自然である。
 なぜこんな危険なことをしたのかというと、曹操の方こそが、そうせざるを得ない状況に追い詰められていたからであろう。
 ここで追わなければ荊州南部に、二十万の大軍を擁する劉備政権が成立してしまう。それと数年がかりで地道に戦っていたら、遠征中の軍の方が気候や補給の観点で不利である。それを考えたら、自分が包囲殲滅されない範囲内で騎兵で奇襲攻撃を加え、「曹操は強い」と宣伝しなければならない。
 だがその宣伝に成功さえすれば、多くの兵士が寝返ってくれるだろう。
 いわば、かつて青州黄巾軍を降した時と、酷似した状況だったのである。
 
 そして曹操の疲れ切った騎兵が、三十倍の劉備軍に奇襲を加えた瞬間、敵を舐めていた一般兵は慌ててバラバラになったであろう。その統率の取れない連中のうち、特に弱そうな部分を叩いてみせることで、曹操軍は強さを宣伝した。それは通常の強さの兵士に対する、「こっちに寝返ろよ!」という呼びかけでもあっただろう。
 そして劉備とその側近とその取り巻きの精衛兵は、すぐに落ち着きを取り戻した。歴戦の勇士達は、曹操が来襲した日時から、敵が実は少数で疲れ切っている事を即座に見抜いた。
「おい飛よ、二十騎程与えるから、しんがりを務めなさい」
 これは無茶な命令ではなく、一瞬でも膠着状態を作りさえすれば、曹操軍はすぐに約十五万の大軍の中に孤立する島になる事を分かっている者同士の会話である。
 もしも曹操張飛を何とか倒そうとして時間をかけていると、劉備軍の一般兵はすぐに冷静さを取り戻し、「敵の力量は張飛様の部隊と同程度。そして数は我等の約三十分の一。これは手柄の良い機会!」と気付くからだ。
 
 こう考えると、張飛伝における張飛の一番の見せ場であるかのような長阪の戦いは、実は「数の暴力に頼ろうとしたが、敵兵を脅しすぎたり地形を活用しすぎてしまった結果、敵の誘い込みに失敗してしまった」という、随分と情けない場面だったということになる。
 
 多分どうせ偉い人が、これと同じ事やこの意見への反論をどこかで発表しているのだろうが、そういう情報も欲しいので、とりあえず発信してみた。

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