『サクラ大戦 巴里前夜』を読んだ。

 『サクラ大戦 巴里前夜』全二巻を読んだ。グリシーヌ=ブルーメール・コクリコ・北大路花火・ロベリア=カルリーニの四名に、一話ずつ当てられている。
 グリシーヌの叔父やコクリコの父母の悲しい人生等、ゲームでは直接的には明かされなかった悲劇的な背景が随分と赤裸々に描写されており、『レ・ミゼラブル』でも読んでいるかの様な気分になった。
 全ての話に暗い影を落としているこの世界の欧州大戦についても、色々と細かな事情が明らかになった。
 史実と異なりアメリカが不戦を貫いたせいで引き分けに終わった事は『サクラ大戦 前夜』の204〜205ページでも既に書かれていたが、日本もまた参戦しなかった事や、この戦いを切っ掛けに全ての植民地が独立を手にした事等が新たに明かされた。
 こうなると、どう考えてもアメリカ合衆国の一人勝ちの国際情勢が想定される。私は『サクラ大戦V』を最初にやって「アメリカ支配こそ世界征服の第一歩」という発想のラスボスが登場した際に、当時の国力を無視して無理に現代のブッシュ政権批判をしたものだと思ってしまったのだが(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20121229/1356774130)、こういう事情があったのならば完全に納得出来る内容だと思い直した。
 なお初代『サクラ大戦』では、ルシファーとしての力に完全覚醒した葵叉丹がエッフェル塔近辺の巴里市街地を火の海にする描写があったが、その件については全く触れられていなかった。
 そういえば叉丹は『サクラ大戦 熱き血潮に』では紐育も火の海にしているが、これについても『サクラ大戦V』で全く触れられなかった。ひょっとして叉丹の同時多発的大破壊は、「無かった事」にされてしあっているのだろうか?
 なお第三巻は何かの事情により発売されなかったとの事である。これは非常に惜しい事である。というのも、外部から見る限りほぼ完全に天然ボケ人間であるエリカ=フォンティーヌを、小説家がどう扱うか、非常に興味があったからである。内面を詳細に書いてしまうと天然のイメージが壊れそうであるが、かといって内面の描写を避けるのは難しい。しかも「他人の眼から見た主人公」という手法は、ロベリア編で使ってしまっていたのである。
レ・ミゼラブル (1) (新潮文庫)

レ・ミゼラブル (1) (新潮文庫)

サクラ大戦V ~さらば愛しき人よ~ 通常版

サクラ大戦V ~さらば愛しき人よ~ 通常版

サクラ大戦~熱き血潮に~(限定版)

サクラ大戦~熱き血潮に~(限定版)